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Current topics ニューカマーズ・コミュニティ・コメンタリー[3] Japan Canada New Comers Community (JCNCC) 心の中に雪が降る いのちの尊厳道遠し−最高裁判決 住民投票と間接民主主義 政治無関心がもたらす股裂き現象 渡鳥, 餌場を飛び去る 資本流出が止まない 船中八策、新国家構想 自民ー民主大連合構想の失敗 企業を取り巻く風土、科学技術も変わった 消費者を騙す、偽装、偽表示、羊頭狗肉 民間による検察・警察の監視機関の設立 NY苦情調査委員会 現実化するフィクションの世界 航空機内に液体物持ちこみ禁止 謝罪は玉虫色 くすぶる従軍慰安婦の問題 「勝者の文化」と「敗者の文化」 諸行無常ともののあわれ 中国、韓国に抜かれる力を失っていく日本 「偽履修」皆で誤魔化せば怖くない 鬼に金棒核兵器、北朝鮮 ネオ・ナチ(?)ネオ・ミリタリズムの台頭(靖国メモ) 消費者とマインドコントロール 人を呑み込んだ市民プール吸引口 この流れを止めてはならぬ 小泉純一郎と小沢一郎 「GEISHA」と「恥の文化」 たった一つのシーちゃんの金メダル 「コペルニクス的ばか者」耐震強度偽装事件 人口の減少が始まった需給関係が逆転 IT黎明期400億円のミス 変質者を監視性犯罪から幼児を守ろう 記憶にありません日歯連ヤミ献金事件その後 検察・警察の権力を監視 小泉純一郎と衆議院選挙2005 真昼の決闘郵政民営化 財閥企業の犯罪 子供の虐待死母親110番を創ったら 北海道警は自身を公平に立件できるか JRの事故は首都圏でも起るか 戦後60年くすぶる火種 アジアの覇権と反日デモ 黒船来襲日本的企業社会に 「高徳」という精神論 1億円ヤミ献金事件裁判の行方 ひとつの命を惜しみ 慈しみ大切に扱おう 実力があるものにメダル 日本の人身売買、売春や強制労働 イラクで邦人が拘束 二つの選考委員会 汚職返上へ新政権が“腐敗官僚狩り” 消費税2桁時代 情報不足が招く誤解 地図の読めない女、ひとの話を聞かない男 北朝鮮からのミサイル攻撃 SARS 神と人の攻防 ある虐待死と餓死のこと 恩のサイクル(その1)親の恩を受けて育ちましたか? 恩のサイクル(その2) 日本は男性人口が女性に比べて少ない?
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| コラム 心の中に雪が降る いのちの尊厳道遠し−最高裁判決 「雪が降る」、私の大好きなアダモが歌うシャンソンの題名。(原題:Tombe la neige) それにしても今年は雪が多い。日本だけでなく北米もいままでに例年の2倍から3倍の積雪量があった。 毎年、温暖化が議論されていたが今年はどうしたことか寒い昔の冬に逆戻りしてしまった感がある。 そんなことを考えながら、新聞を眺めていると、毎日新聞のコラム欄に「新宿に降る雪」という記事が あった。 JR新宿駅西口で1人の男性が路上に倒れていた。 偶然通りかかった若者が足を止め、男性に「具合が悪いんですか」と聞いた。 男性は口をわずかに動かすが、声が出ない。「救急車を呼びましょうか」と尋ねると、うなずいた。 通報でやってきた救急車の隊員は若者に「この人は搬送を拒んでいる」と言った。 「言葉も出ないのに、拒否なんかできますか」とその若者は憤慨した。 結局、救急車は病人を乗せずに走り去ってしまった。 そして雪が降り始めた。 救急車が去った約4時間後、若者の同僚が様子を見に行く。男性は凍死していた。 この記事を読んで、なんともやりきれない悪寒が背筋をはしった。人の命の尊さが 救急隊員には分からなかったのか、それとも引き受ける病院がなかったのか。 同じ頃、最高裁で裁判官の良識を疑いたくなるような判決がでた。 大津市で2001年に起きた暴行事件で死亡した少年(当時16歳)の母親が、暴行を見ていながら救護措置 を取らなかった少年3人と親を訴えた事件である。 判決は「現場にいた他の少年に救護義務なし」とするものだった。 う〜む、そうか。日本ではそれが常識なんだ、とはじめて納得した。 他人のことは他人のこと。わたしの知ったことではない。よそ事として傍観すればよいのだろう。 人道的な見地からかかわるのはべつのはなし。法律では救護義務なしということがわかった。 多くの人は、この最高裁の判決に納得するだろう。法律と道義は別問題だと。 それは、一見徹底した個人主義のように見えるがはたして個人主義とはそんなものだろうか。 個人主義の先進国欧米では、このような場合、法律で救護が通行人に義務づけられている。 先に述べたような、雪の中で行き倒れになった人や路上で発作を起こして倒れた人、交通事故で負傷した人、 暴漢に襲われて瀕死の重傷を負った人を見たら、なにはともあれ真っ先に救急車 を呼び警察に連絡しなくてはならない。 通りすがりの傍観者にも重い義務があると法律で決められている。 もし、見てみぬ振りをして通り抜けたりすると、厳しく刑法で罰せられる。 時には、懲役刑が課せられる。他にいかなる理由があろうとも、救護行為を怠ると 重罪になる。それくらい、人の命を大切にする。 赤の他人といえども先進国の社会では人間の命を法律で大事に扱っている。 最高裁の判事が、先進諸外国の事情を知らないはずがない。 この判決を見る限り、その判決の根底にあるものは人の生命(いのち)に対する尊厳の希薄さだ。 あるいは、ビオクラシーかもしれない。 日本では、人の命が欧米先進国よりも粗末に扱われていることがこの判決でわかった。 この裁判は5人の裁判官の下でおこなわれた。そのうち3人(多数意見)が「救護措置をとる義務はない」とした。 わずかだが救いがあるのは、残る2人の反対意見で「少年3人は、 現場を立ち去る時に暴行を受けたものが死ぬかもしれないほどの危険な状態にあることを認識しており、 消防署や警察署などに通報し、救出すべきだった」といっている。 この反対意見が欧米では当たり前なのである。 その反対意見が、少数意見である間はわが国では人権は当分根付かないであろう。 私の心に雪が降る。心の髄まで降りしきる。いつになったら雪が止むのだろう。 (JCNCC 2008/3/1) 【フィードバック1】 その通りです。最高裁が仮に少数派の意見で判決がでていたならば、 今の日本の「触らぬ神にたたりなし」的な風潮の社会が明日から大きく変わっていったでしょう。 このままでは、現状の急病人のたらい回しが続くでしょうし、自分を危険にさらして 暴漢に襲われている人を助けるなんてこともおきない。 この判決は本当に残念です。 (千葉 55歳 男性) 【フィードバック2】 日本の裁判は、伝統的に江戸時代のお役人思想が残っているのではと思います。 お上が白洲で罪人をお裁きになるという態度が、 「救護義務なし」という結論になってしまうような気がします。 町民の申し立てを取り上げられたのは非常に稀だったと思います。 (神戸市 43歳 女性) 【フィードバック3】 最高裁判事さんたちは、単純に法律の文言に固執して結論を出したためにこうなったのです。 まさに「樹を見て森を見ず」と言うところです。われわれ庶民感覚とちがいますね。 今の官僚型裁判制度がまがり角にきているということです。 裁判制度に庶民感覚を入れた陪審員制度の導入が待たれます。 (東京 39歳 会社員)
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| コラム 住民投票と間接民主主義 政治無関心がもたらす股裂き現象 「木(樹)を見て森を見ず」という諺がある。昔から相当言い古された失敗に対する教えでもある。 一つ一つの事象より、全体の流れの中でものごとを考えよ、という意味だが、ともすると 当事者は近視眼になりすぎて、全体の流れを見失ってしまうことが往々にしてある。 囲碁の世界は、まさに「森をみよ」の世界で、局地戦の勝負より盤面全体の占有率できまる。 初心者になるほど、局地戦に全エネルギーを投入して盤面の形勢を疎んじてしまって失敗するケースが多い。 囲碁を始めだした頃、誰もが一度は経験する失敗だ。 一方、日本の政治の世界では森を見ない政治家や企業家が多いのはどうしたことか。 太平洋戦争をはじめた頃の政治家は森を見なかったのだろうか。 産業革命が二百年も前に始まっている米英西欧諸国の技術、火器、武器、武装を 見れば、勝ち目はまずない。劣る装備、レーダーなどの科学技術の立ち遅れ を補うそれなりの戦術もたててなかった。 最近、「偽」でひと絡めにされている雪印乳業から始まる老舗企業の破綻、これらは、当事者が森を見ずに 企業経営をしていたためだろう。 「森を見なかった」ということは、歴史が示すようにことごとく惨めな結果にたどり着くと断言しても言いすぎではない。 年明け早々から、かまびすしく議論が応酬されている話題がある。 山口県岩国市にある米軍岩国基地への空母艦載機移転問題で、 岩国市が一昨年行った住民投票を、今度、大阪府の府知事に当選した橋下氏が横やりを入れた。 「国の防衛政策に地方自治体が異議を差し挟むべきでない」と批判した。 また、「憲法が間接代表制をとっている以上、住民投票の対象も絞られるべきだ」との考えも表した。 憲法を丸暗記して司法試験に臨んだ弁護士らしい「木を見て森を見ず」の典型的な見解である。 これに対して前岩国市長は「主権者である市民、国民が国政にものを言うのは当然だ」と反論。 また複数の専門家からは「地域の問題について住民の声を直接聞いて、国に示して実現を図っていい、というのが憲法の考え方」 「法的拘束力のない住民投票の是非について、わざわざ憲法を引き合いに出すこと自体が論外」と異論を呈した。 これに対して橋下氏は「学者なんかに政治の現場での生の憲法がわかるわけがない」と水掛け論に発展する。 この議論、まだまだ続いている。 反対派の前市長は2年前、住民投票で米軍岩国基地への「空母艦載機移転反対」の圧倒的な民意を得て、直後の市長選に当選し、 容認派が多数を占める議会と対立する。 これと同じ構造は、滋賀県の新幹線栗東駅の新設問題でも起きている。 圧倒的な「新駅反対」の民意を得て当選した滋賀県知事と新駅賛成派の滋賀県議会が対立した。 長野県の「脱ダム宣言」のときも、ダム建設推進派が多数を占める議会と田中知事が対立した。田中新知事が経験した難関だった。 なぜ、このようなまた裂き状態がこの国のあちこちで起こるのか、そこでこの国の外から見た目で考えてみたい。 現在の日本国憲法では、地方の首長、議会は、選挙によって代表者を選出し間接的に政治に参加しその意思を反映させる 議会制民主主義制度をとっている。 同じ県民の意思を反映されて選出された筈の 首長と同じ県民が選出した議会がまったく相反して対立するはずはないのだか、なぜこんなことが起きるのか。 これは、日本のお家の事情を知らない人にとって非常に興味深いテーマである。 このなぞを解きほぐす糸口は、まず日本の議会制度の生い立ちから考えてみる必要がありそうだ。 現行憲法は、戦後マッカーサの占領下で作成されたものだが、そこには、日本の特異な民族性、風習、俗習、伝統 などは考慮されずに、欧米の規範がそのまま通用すると考えて制定された。 たとえば、国、地方議員は選挙民の意志を反映して選ばれるとマッカーサ占領軍が考えていた。 日本では多くの場合、市民の意志が反映され選ばれたはずの議会代議員が、実は一部の利益集団のために尽力している図式に 出会うことがしばしばある。それゆえに、選挙のとき選挙民に約束したことは守られないのが常識になっている。 明治以来、わかり易く表すならば、選挙とは代議員候補が選挙民を利用した、代議員資格を得るための形式的なまつりごとでしかな かった。 明治憲法の精神とはこの点が相反していたが、いつの間にかそうなってしまっていた。 この傾向は、わが国のみならず、アジアの国々でもよく見られる。 こうして、選ばれた代議員で構成する議会制度は欧米の制度とはまったく性質の違うものであるところに 前述の股裂きの矛盾が起きる。 世界の議会制度が生まれた歴史を見てみよう。欧米では社会の底辺で苦しむ国民が為政者や王の圧政から開放されるために 革命などの行動によって、自治権を王政から奪取するとことから始まる。そこで、新たな自主政治の骨組みが必要になり、 議会を創設した。議会を動かす議員として、自分たちの代表者を 選ぶ。自らの権力の行使をその代表者に信託して、間接的に参加しその意思を行政に反映させた。 紆余曲折しながら議場で論議しながら規律を作り、より民主的な制度を作り上げた。 こうして、選挙民の考えが反映する自治組織の基づえが出来上がった。 一方、わが国ではどのようにして議会制度が出来上がったか、明治に遡って考えてみよう。 わが国に議会制度が導入されたのは、明治維新のあと国会開設運動を経て1890年(明治23年)になる。 西洋諸国の近代化に乗り遅れた日本は西洋の制度を取り入れて表向き近代化をなしとげた。 そうしないと西洋先進国の仲間に入れてもらえなかった。 一説には、江戸末期、西洋諸国と結んだ不平等条約を解消するために西洋の民主主義制度を取り入れたと論じる学者もいる。 いずれにしても、西洋の民主主義の根源、議会制を布かなくては国際社会で相手にしてもらえない。 そこで、帝国議会(衆議院と貴族院の二院制)を設置、開くことになったが、箱物は出来ても中身の議員がいない。 貴族院は皇族、華族と勅選議員、多額納税者で埋めることにしたが、衆議院は公選制にしないと 本当の議会制民主主義ではないと欧米から非難される。 公選制にするには、それにふさわしい人材が必要だが居るだろうか。 中央では、自由民権運動などが盛り上がっていたので議員のなり手は、十分確保できたが地方では人材がいない。 而して、明治維新政府は、地方の有力者、名主、治者、庄屋、地頭などに働きかけて、議員になるよう請願する。 その当時、彼らはすべて地方の支配者であり、江戸時代の士農工商階級制度の頂点にいた支配階級の名士であった。ここが、西洋の底辺の民衆による民主改革と相違する。 こうして、彼らがかたちばかりの選挙を経て、議会に議員として入り込んできた。 いうなれば議会制度のサクラだった。 ここら辺のいきさつは日本の記録を読んでもあまり詳しくわからないかも知れないが、オランダの ジャーナリスト、カレル・ヴァン ウォルフレン(Karel Van Wolferen)「日本 権力構造の謎」 という著書を読むとよく分かる。 現在、中央、地方ので活躍している二世、三世議員の生い立ち見ると江戸、明治時代の地方の豪族、地主、有力者、名士など の家系にたどり着く。このとき確立した古い選挙地盤を足場にしてその後の選挙に出馬する傾向は戦後の新しい憲法になった 今も続いている。地方議会においてもほぼこれと類似している。 これでお分かりのように、同じ選挙民に選挙で選ばれた代議員と首長(知事、市長)と主義主張が異なるのは当然といえば当然である。 議会の代議員は、マッカーサ占領軍が考えていたいた代議員ちは異質のものだった。 今でも、選挙民の政治に対する関心が低い地方では、代議員選挙のような選挙が首長選でも行われている。 選挙民の無関心をいいことに、、旧世代の代議員、代議士は存分に彼らを利用してきた。 間接民主主義の欠点、地盤、知名度が最大の要素となることを早々と賢い彼らはマスターして、 政治信条等はいつの間にかどこかに忘れ去られ、固まった地盤、知名にどっかり腰を下ろした。このぬるま湯が、代議員の自己研磨を怠り、腐敗の根源になった。 では、議会制度の先進国は、この矛盾をどうやって乗り越えてきたか。 英国は、19世紀に選挙法(1867-1886年腐敗防止法 Corrupt and Illegal Practices Prevention)の改正をして、 硬直した選挙区の割り当てなどを見直し、選挙区の区画変更、被選挙人数の割り振り変更を 頻繁に行って既得地盤を優位に利用することを抑制した。これによって特定候補者の地盤の優位性に歯止めがかかった。 また、1872年の選挙法改正(The Ballot Act )によって贈収賄を厳しく取り締まる法律を制定した。 選挙違反者は、公民権剥奪、懲役刑(投獄)など重罰を科して同じ選挙区からの一定期間立候補出来ないようにした。 これらの多くの規制によって、その後、選挙腐敗は減少の一途をたどった。 王の権限が今と比べて強かったビクトリア王朝時代は、ともすると王の権限が議会に入り込んでくる危険性があるため 政治腐敗には極力厳格な規制を布いた。 ここも、天皇を中心においた明治政府とはまったく違っている。 それに比べ、日本の議会制の生い立ちから見てみると、いままでは選挙によって国民、市民が政治に参加し、 選んだ代議員によって投票者の意思が議会に反映出来ると思って選挙に出かける人はいなかったのは当然な話だ。 代議員は、選挙の前とあとではまったく違った行動をとるというのは当たり前のように思われてきた。 だが、昨今、問題を抱えた地方の首長の選挙となると、議会で何をしているかわからぬ代議員の場合より その行動を選挙民が監視できるためか、「米軍岩国基地への移転」「新幹線栗東駅の新設問題」「脱ダム宣言」など、具体的な選挙民の身近に影響が出る問題となると 県民は、俄然、選挙に出かけて自らの意志を表明する。 これが、前述のまた裂き状態を生み出した原因で、選挙民が二重人格だった訳ではない。 反省すべきことは、国民、県民は本来の代議員の選挙の時も、住民投票や首長選と同じ関心を持っていなくてはいけない。 それが、代議員制間接民主主義の本来の姿で、今まで選挙民は、 あなた任せの無関心という、憲法違反(*)にも匹敵する重罪を犯していてことを改めて認識しないといけない。国民に与えられた貴重な権利をいままで選挙によって行使することをしないで、火の手が身近に迫ってきた時だけ、あわてて投票所に駆けつける、これは猛反省する必要がある。 欧米の国民は、常時、政治に関心を持っている。それは、無関心で人任せにすることが如何に危険であるかを身にしみて経験しているからだ。日本人も太平戦争で同じような苦い経験をしている。無関心でいたことが、いつの間にか危険が身辺に及び、親兄弟の命を奪い、財産まで失う苦い経験をしたはずだ。 われわれが、「基地移転」「新幹線新設問題」「脱ダム宣言」などの特別な時だけで関心を持つのではなく、平時から政治に関心を持つことがいかに大事であるかが判る。 1863年11月19日、ペンシルバニア州でエイブラハム・リンカーンが行った有名なゲティスバーグ演説 "this nation, under God, shall have a new birth of freedom and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth. " (・・・人々に選ばれ、人々に仕え、人々によって生まれた政府、そんな 新しい国が誕生しようとしている。それは、この地上からけっして葬られることはない) 民主主義の原点となって今の日本憲法前文にまで影響(**)を与えた、この演説(ゲティスバーグアドレス)の真の 意味するところをいま一度噛みしめてみると、冒頭に述べた諸氏のご意見のいずれが正しいのか、一つ一つの言葉、文言にとらわれず、その背景の「森」、民主主義の精神、意図するところを考えてみればおのずと答えが出るはずである。 (JCNCC 2008/2/1) (注 *)憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 (注 **) 憲法 前 文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(中略)、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 【フィードバック1】 はじめて書き込みさせていただきます。 お説の通り、日頃の選挙民の関心の薄さが、長野県、滋賀県や岩国市のようなことになったのでしょう。 住民の意向が日頃から議会に反映されていたら、住民投票も必要なかったわけです。 どこでもそうでしょうが、与党の議員さんは住民のことより業者の方を向いています。 キックバックによる私腹を肥やすためでしょが。(北海道 57歳 男性) 【フィードバック2】 いつも、政府や行政の責任ばかりを責めている国民にとっては核心を射抜かれたような 痛いご指摘です。 私は日頃から、政治には人並みの関心を持って自分なりの意見を持っておりますが、 よくひとから、「疲れませんか?」皮肉られます。 なんでも「おまかせ」に慣れきった国民にとってはそう見えるのです。 欧米のように、常に政治に関心を持つのは今の環境では、勇気が要ります。 特に、若い女性は、親から「嫁のもらい手がなくなる」といわれます。 この古い考え方が変わらない限り、本当の民主主義の実現は難しいような気がします。 (神奈川県 31歳 女性)
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| コラム 渡鳥,餌場を飛び去る 日本からの資本流出が止まない 近代化に乗り遅れた経済構造 新しい年の元旦、毎年この日には昨年1年を振り返ることから新年の暦を開くことにしている。 昨年の漢字に選ばれたのは「偽」、これを昨年だけ1年間の言葉とするには少しものたりない。 というのは、この「偽」は昨年始まったことではなく、長年、行政、産業界に溜まった スケール(湯垢)が沈殿して目に見える大きさになって、たまたま昨年に 現れたまでの話で、「偽」は昨年に限ったことではないからだ。 それでは、昨年、顕著に現れた特記する漢字は何か。 わたしは、「落」を昨年の言葉としたい。 「落」にあたるなにか出来事があっただろうか。 温暖化による、極地の氷山が凍解、崩落の「落」もそのひとつだが、日本に住んでいては、 一部の関係者以外は多分気がつかなかったこと、特にわが国が昨年、 世界の先進諸国の中で唯一特異な動きをしたものがある。世界の先進国の仲間から 落伍しつつあるのが観測されたことだ。 それは、渡り鳥のように世界の餌場を渡り歩く渡り鳥資本の群れが、日本に見切りをつけて いっせいに飛び去ってしまったからだ。 その羽音すざましく、昨年後半から坂道を転げ落ちるように金融市場の指標は次々落ち込んだ。 その間、ニューヨーク、欧州の株式市場、中南米、中国、韓国、インドなどのアジア市場の指標は、 右肩上がりに上昇を続けた。ただ、日本だけが逆行して下がり続けた。 その原因はなにか。米国のプライムローン(住宅ローン)焦げ付き問題、イラク戦争の 泥沼化などがあるが、この負の条件は世界中どこの国にも共通した要因である。 なぜ、日本だけが下がり続けたのか。 日本金融市場の外国人の株売買は約600兆円 全取引の6割をしめる。 その外国人投資家が日本の経済成長に見切りをつけて成長すざましい中国、インド、ブラジルに移り始めた。 と見る専門家も多いが根本的な原因はそれだけではない。 同じような例を、一昔前の国際流通の世界に見るとわかりやすい。 日本の海空の港は、国際貨物の輸出入手続きの近代化に遅れた。 国際貨物は、日本の港を経由するのを避けて、韓国、中国、シンガポールの 隣国に出来たハブ港に相当な荷が移ってしまった。 その頃、日本の港では、官製の決まった用紙を購入して、電話帳より分厚い分類表を探して 区分コードをひろい出し、書類を何枚も作成して印鑑を何個も押して窓口に提出する。 書類に誤りがあれば、訂正して再提出させられる。 やっと、受け取ってもらうと認可が下りるまでに半日、1日待たされる。 税関窓口近辺には、常時、輸出入業務取り扱い業者が認可待ちの為、何人もたむろしていた。 一方、隣国の税関では事務手続きを極端に簡素化して、FAXで、電子メール、パソコンから数分で出来た。 日本の役所は、この世界の動きを知らなかった。 これによく似たことが、昨年の金融市場にも起きていた。 今回は、事務手続きの問題ではなく日本の閉鎖性や監査制度の信頼性などがある。 昨年、外国人投資への厳しい司法判断がつづき、著名な食品企業が株式総会で買収防衛策導入、監査法人の不正、 新興市場における市場操作の監視機能の不在などが相次いでつづき、日本市場は閉鎖的、安心して資産を託するには 問題があると見限られ始めたことに要因がある。 折角、追いついた先頭集団の中から役所の閉鎖性、改革の先延ばし、近代化の遅れから一つ、この分野でも、 また一つと世界の先頭集団から落伍していく。 今年こそは、司法をはじめ、諸行政機関は世界の流れを見つめ日本が世界の先頭集団から落伍しないように考え方を改める必要がある。 官尊民卑の思想のもとで出来上がった諸手続きの方法も民業官援に変える必要がある。 そのためにも、行政改革の先送りはもう許されない。 来年の今、今年を振り返ってみて、まだ同じ状態でなければよいが。 (JCNCC 2008/1/1) 【フィードバック1】 このコラムを読ませていただいて気がついてみると、昨今、日本の経済は確かに元気がなくなったように見えます。昨日(1月18日)、大田経財相が、「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と衆院本会議の施政方針演説でおっしゃったそうです。 国内総生産(GDP)が世界第2位から18位まで滑り落ちて、国・地方の借金が約1,000兆円。 経済のトップがやっと気がついたというところでしょうか。一流でなくてもいいですから、早く構造改革をすすめ、具体的な再建策を出してすぐ実施してもらいたいものです。 (フィナンシャルプランナー 39歳 東京)
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| コラム 船中八策、新国家構想はどこへ 自民ー民主大連合構想の失敗 クリスマスの時期になった。キリストの聖誕祭として信者には、大きな年末行事のひとつ。 街中、クリスチャンのお祭りに便乗してクリスマスセールが始まる。 街路樹は、豆電球が巻きつけられショウウインドーには、雪に似せた真綿で包んだ可愛い、幅の広い赤と緑のリボンで 縛られたクリスマスプレゼントがならぶ。 自分では日頃手が出ないような高級品ばかり。だが、知人に贈るプレゼントとなると少々高くても無理をして買ってしまう。 それより、興味があるのはその高級品もクリスマスを過ぎると、大バーゲンの憂き目に遭う。 どこのショウウインドーも、50%OFF, 80%OFFで、中には90%OFFの張り紙が張られ、廉価で処分される。 このバーゲンを見込んで、バーゲンハンターが行列を作るのも年中行事になった。 今月の初め、永田町に激震が走った。いわゆる小沢騒動である。自民ー民社の大連立騒動、号外まで街で配られた。 この騒動には、だれも愕然とした。小泉純一郎がはじめた「自民党をぶっ壊す」改革がこれで終わったと感じた人も多いだろう。 この大連立構想は、国民が一番懸念していたものだ。小泉内閣がはじめた改革政策は、それまで甘い汁を吸ってきた人たちにとっては相当無理があった。 政財官界の守旧派は当然のこととして巻き返しを計るだろうことは、わかっていた。 前回のこのコラムでも触れた、 違法を承知の上で商売を続けていた、日本独特のビジネス風土がどんどん壊されていく。 いい加減な監査が許されてきた企業の監査にもメスを入れられ、監査法人が次々にあげられた。 企業にコンプライアンスが厳しく要求され、黒字を出していた企業の決算が赤字に転落する。 挙句は、最近の景気後退をコンプライアンス不況と嘯く経済人まで出てきた。 変革移行期に混乱が起きた例は過去にもいくつかある。 たとえば、太平洋戦争の終局で戦争終結を決意した天皇に対して、 武装した陸軍幹部の守旧勢力が皇居に潜入、猛烈な勢いで阻止しようとして死者まで出したことは、あまり知られていない。 もしこの時、守旧勢力が勝っていたら戦争はずっと続いていたであろう。 もう一つは、細川内閣で野党に落ちた自民党の巻き返しである。まったく政策が正反対の社会党を抱き込んで政権政党に返り咲き守旧勢力が政権を奪回した。この時、旧社会党は党首を総理大臣にするという甘い言葉に誘われて、社会党は自民党と連立に合意してしまった。 後から考えると、この社会党の変身は日本の政治史に醜い汚点を残した。 自民党を批判し続けてきた党が、こんなにも簡単に政策を変えて政権にすり寄ってしまうものかと、国民は唖然とした。 それ以来、社会党は支持者からの信頼も地に落ちていく。 もしこの時、社会党が断固として自民党との連立を拒否していたら、後に小泉純一郎の出現はなかった。このあともどりが、その後長い間、政治家や官僚の腐敗を放置し、 国費の無駄遣いに歯止めがかけられず、国の借金を800兆円まで膨らませた。 あの社会党の変身は、どう考えても罪深い。 民主主義国の国民は政治家を信頼しきってしまう。 間接民主主義の制度下では、政治家は選挙民の意志を携えた代理人なのである。政治家が国民を裏切る国家は民主主義が成熟していない証しだ。 その政治家、政党が突如変身してしまうなどはまったく論外である。 あとには、轟々たる政治不信と、悪徳政治屋の暗躍が残る。 小沢一郎は、著書の中で坂本竜馬に自分を投影してこう書いている。 「公武合体は、いわば小手先の妥協案であり、当初、多くの志士たちはこの公武合体の実現を模索していた。」 「彼の船中八策は、いわば新国家構想ともいうべきもので、(略)誰も想像しなかった未来像を具体的に提言したものだった」 そして、こう結んでいる。 「坂本竜馬こそ、本物のリーダーと呼ぶべき人物ではないかと思う」。 今回、小沢騒動では、彼は「多くの志士たちはこの公武合体の実現を模索していた」方向に転進しようとしたのではないかと国民は、 一瞬感じたのはないだろうか。 今回の騒動で、小沢一郎の信頼度は、クリスマスバーゲンのように80%OFF まで一時落ちた。 だが、実情は大分違っていた。 騒動が終わって、半月たってこの騒動の内側がわかってきた。 小沢氏がどこまで大連合に乗り気だったかはわからないが、もしかしたら前回、民主党が引っかかったライブドア事件 、フリージャーナリストが仕掛けたわなと同じトラップにはまったのではないか。 それは、自民ー民主大連合構想が民主党の役員会で否決後、タイミングよく大連合構想は小沢氏が自民党に働きかけたという記事が 新聞紙上を駆け巡ったからだ。もちろんこれは、小沢引っ剥がしの陰謀だった。 実は、この仕掛け人は、後に大物の黒幕政治屋だったことがわかる。今でも永田町には黒子(フィクサー)と呼ばれる政治の舞台裏で暗躍する 前近代的な黒幕が息を潜めて時折活躍していた。 こんな黒子に日本の政治が振り回されていた時代は、大昔前に終わったと考えていたが、いまだに角栄時代の絶滅品種が 生きながらえていたとはもう一つの驚きでもある。 (JCNCC 2007/11/18) 【フィードバック1】 このひと(小沢さん)には、いつ何をしでかすかわからないという不安感がありますね。 側近の鳩山さんにしても同じ不安があるようですね。 象牙の塔にこもっている学者さんみたいですが、国民を相手にする政治の世界ではこれでは困ります。 (主婦 44歳 千葉)
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| コラム 企業を取り巻く風土、科学技術も変わった 消費者を騙す、偽装、偽表示、羊頭狗肉 「この会社は、当然、違法と知りながら、この詐欺に相当する営業手法を企業利益追求のために続けていたのです。企業としてのモラルの一片も無い経営は厳しく批判されても仕方がない・・・」 この一文は、2年前(2005年8月)に書いた当コラム「財閥企業の犯罪」の一節です。 当時、この文章を書きながらこれから先、同じような悪徳企業が続々と出てこないようにと、さびしい、情けない気持ちで気持ちで筆をとったのですが、その願いは日本の経営者にはとどきませんでした。 年末年始の儀式なのか、最近不祥事をわびる「平身低頭、土下座、・・・」 地味なダークの背広、ネクタイでTVカメラの前に一列に並んで、 直角に近い角度まで上体を折り曲げて謝罪する。 毎日のように、著名な老舗企業が次から次へと謝罪する。 偽装、偽表示、書き替、偽造、造物、入替え、詐称、代物 別物、羊頭狗肉・・・など、 これらはすべて、詐欺の常套手口です。 国民の前で、神妙な顔をして頭を下げる経営者はそんなことは十分承知の上で商売していました。 当然、違法と知りながら、この詐欺に相当する手法を企業利益追求のために続けていたのです。企業としてのモラルの一片も無い経営は厳しく批判されても仕方がないでしょう。 違法を承知の上で商売を続けていたのは、日本独特のビジネス教義・風土みたいなものがあります。 「まじめに商売をしていたのでは他社に追い越される。違法ぎりぎりのことをやって商売繁盛させるのが 良い経営者」と信じていることです。 ここで、違法ぎりぎりという考えは、「法に違反していない」ということではなく、見つからなければ良いという 基準だけです。 この風土の中では、企業の倫理を重視して正常な手法に経営を戻そうとする経営幹部、従業員が居たとしても、 「そんな事をすると将来出世しないぞ」 上司から釘を刺されると 「やめておこう」と臆病神が顔を出します。 「女房、子供の顔が眼に浮かんでくると・・・」 と自分に言い聞かせて思いとどめました。 また、人一倍正義感に燃えて意見すると、今度も上司から 「おまえ、いつになったら大人になるんだ」 と、子ども扱いにされ蔑視されました。 この文化が内部告発を抑えてきたことも事実です。 他方、内部告発があったとしても監督当局も悪徳業者と一緒になって、違法を無視続けてきた。定期検査も事実上やっていなかったのです。 偽装問題で告発された企業の元幹部は「事前通告は『うまくやれ』と言われているようなものだ。検査はザルだった」と証言する。 その元幹部によると、少なくとも約7年前からは、検査の日程が監督当局から通知されていたという。 元従業員を名乗る男性から保健所に「牛ミンチ肉にウサギ肉や鶏肉を混ぜている」と告発する電話が寄せられたのに、監督当局は事実関係を調べず、農林水産省にも連絡せずに事実上放置していた。 老舗「赤福」の製造日の偽装問題では、04年7月と8月、店頭から持ち帰った商品を再包装していると指摘する情報を監督当局が受けて同社の大阪工場を調査していたが、「情報提供者の要望を尊重した結果、踏み込んだ調査ができず、偽装の事実は確認できなかった」としています。 これらは、諸外国では当然、役人の怠慢と職務不履行に当たりますが、日本では役人を処罰する法律がない。 何のために検査機関が存在するのか、名前だけで機能していない役所はこの際、行政改革として整理してしまうか、民間にやらせたた方が国民は安心できるような気がします。 なぜ、最近、次から次へと同じような偽装事件が発覚したのでしょうか。 耐震偽装建築問題が浮上したとき、元建設大臣が業者とともに霞ヶ関の 現大臣を訪れてもみ消しを計って失敗しました。 小泉首相に代わって、腹芸が尊ばれた歴代の自民党の総裁の時代とは違い、鼻薬が効かなかった。陰の総理大臣と呼ばれる派閥の長老や実力者の影響力が効かなくなった。多額の金銭で動いたフィクサーとか黒幕が使えなくなった。待合でのヒソヒソ話やずっしり重い封筒の受け渡しもできなくなった。今まで、検察や警察の捜査に都度、口出ししていた官邸が干渉しなくなったことも原因ではないかと考えられます。 昨今、ガスクロマトグラフィーやDNA鑑定などの最新技術で品種、含有物、産地偽装まで見つかってしまうのです。企業を取り巻く風土、科学技術も変わりました。役人を買収するだけで良かった時代は終わりました。企業、商売を取り巻く環境の変化を古い老舗の経営者はそれが読めなかった。 いいかえれば、正攻法の経営手法でなければ、これからは商売ができない時代になったということ知らなかった。 それを、早く察知した経営者がこれからは優秀は経営者と呼ばれるようになるでしょう。 商売の信用を得るには100年かかります。それを失うには一瞬でいい。元に戻すには、また同じ時間がかかる。 企業倫理が叫ばれだして長い。それでも、経営者の頭には定着しなかった。 経営は、長期的な視点に立ってのれんを守ろうという正攻法を忘れてしまった。ふた昔前に、住友銀行が犯した過ちと同じような、短期的な浮き銭を追ってしまった。老舗経営者は少しずつでも今日から頭の中を変えて行って貰いたいものです。 (JCNCC 2007/11/10) 【フィードバック1】 2世、3世の経営者、政治家が次から次へと不祥事を起こしています。 日本の社会が本人よりも、肩書きや家系を重視しているために出た弊害ではないですか。 (自由業51歳 男性 東京)
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| コラム 民間による検察・警察の監視機関の設立 NY苦情調査委員会 このところ、検事・警察官の不祥事が相次いでいる。前にもこの欄(検察・警察の権力を監視) でとりあげたがいっこうに良くならない。それどころか、最近、特に悪化してきている。 そのいくつか拾ってみると、
たとえば、いまどき信じられない事件があった。なにもしていない一般市民がこんな形で投獄・服役させられる。戦前の特別警察を 思い出させるような恐ろしい、世の中を暗くする事件である。 それは、何の関係もない市民が逮捕され、そのあと警察・検察に誘導・強要され、供述書を作成、 その供述書で有罪ベルトコンベアに乗せられて裁判で罪が確定して服役させられる。 むかし社会主義国で、政治犯に使われた手法である。 それは、02年に強姦(ごうかん)と強姦未遂の2事件で逮捕され、約2年1カ月服役した後に真犯人が現れて無実とわかった富山県内の男性(40)のケースだ。 でたらめな供述書を裁判官が鵜呑みにして有罪判決を出した。 裁判所というものは、本来、検察がつくった供述書の内容を被告に尋問して真偽を見抜かなければならない。 裁判官は、被告と検察の間に立って中立的な立場で真実を探り出し、公正な判断を下す。 裁判官として最低限、この程度の能力は要求される。 その事件を扱った裁判官と検察官との間に相互依存というか、あうんの呼吸があったのだろう。検察と司法の癒着の一端が露呈された事件である。 今年8月22日、富山地裁の再審公判で弁護側は、02年当時の男性の供述の任意性・信用性を否定するため県警の取調官の証人尋問を求めたが、裁判長は「再審は被告人の有罪無罪の判断を下す場所で、必要性がない」として認めなかった。 この裁判長も、裁判所が真実を明かすという裁判の本来のあり方について認識がない。必死に自らの無能を隠蔽しようとする裁判所の姿が見えてくる。 もうひとつの疑問は、この事件を自供した真犯人(別の事件で公判中)がもし出てこなかったら、冤罪で投獄された男性が、 刑期が終わるまで自由の身にはなれないし、刑期が終わって社会に出ても前科を引きずって一生歩かなくてはならない。 そんな理不尽なことが、今、この時代に起きているのである。 今回の事件は、多分、氷山の一角だろう。まだ沢山同じような無実の罪を背負わされて生きている人があるはずだ。 実際には真犯人が自白したり、自首するなんてことは期待できないから、冤罪犯は永久に救われる道が開かれない。 戦前の冤罪事件の再審が、戦後いくつか無罪になって、被告の名誉回復が行われたニュースを時々耳にする。 明治憲法下では、民主的な裁判は存在しなかったのだから仕方がないと、あきらめることもできるが、 現憲法下でも、相変わらず冤罪事件がおきるのはどこかに原因がある。 栃木リンチ事件、桶川ストーカー事件、立川署の巡査長射殺事件、すべてが事件前に犠牲者か関係者が 警察に通告あるいは、訴えていた。これらのケースで警察は訴えを無視、捜査もせず、市民を守る行動をとっていなかった。 神戸市で02年、大学院生が元暴力団組長らに車で拉致されて殺された事件では、 警官が居ながら止められなかった。警察の怠慢と被害者の死亡との因果関係がはっきりとしている。 まだある。ひき逃げ容疑で誤認逮捕され、10カ月拘留された被告の場合、被告の不服申し立てを裁判所はまったく無視した。 実際、冤罪が晴れたのは被告の友人たちが、捜査をしなおして無罪の証拠を見つけたからだった。 このように、わが国には冤罪の被告の不服申し立てをうけいれる制度や苦情受付窓口があっても、 半数は門前払いされ、じっさいは名ばかりで機能していない。ここに、社会制度上の重大な欠陥がある。 日弁連の犯罪被害者支援委員会の調査では、 2000年以降に告訴した647件のうち299件(46・2%)は告訴を拒まれ、 最終的な不受理件数も202件(31・2%)に上った。 理由は、はっきりしている。 不服申し立てをうけいれる機関や苦情受付制度の窓口が、警察の内部に設置されているためだ。 これでは、警察の不祥事、不手際や怠慢を監視することはできない。 では、どうしたら良いのだろうか。今の社会システムをどう変えれば、このような悲惨な事件をなくす事ができるのか。 民主主義の先進国、アメリカ、ニューヨークの場合を見てみよう。 ニューヨーク市には市民の苦情調査委員会(CCRB)という、警察から独立した市民の警察に対する苦情を受け付ける機関がある。 ここでは、市民からの警察、警察官に対する苦情を受け付け、そのすべての件数を一般市民から選ばれた 調査員が、受け付けから24時間以内に調査を開始して、約10ヶ月以内に結論を出す。 市民の訴えを拒絶したり、無視することは許されない。 調査結果が警察、警察官の不祥事、不手際、権力乱用、怠慢と判明した場合は、結果を警視総監に 勧告する仕組みになっている。 もし、このシステムがわが国に導入されていれば、はじめに列挙した事件は未然に防げたであろう。 ニューヨーク市の市民の苦情調査委員会(CCRB)の概略を参考までに次に掲載した。 ぜひ一度、目を通していただきたい。わが国の民主主義との差がわかる。 われわれは、もっと海外先進国の制度を知って、たとえば、ニューヨークの「苦情調査委員会」に近い制度を速急に取り入れないと 警察・検察の不手際、権力乱用、怠慢による犠牲者がさらに増え続けるに違いない。 ******************************************************************** New York City Civilian Complaint Review Board (CCRB) 苦情調査委員会 (CCRB) の概略 ニューヨークシティの市民の苦情調査委員会(CCRB)は、警察から独立した市長の直属機関です。 市民からの苦情を受けて、調査を開始し、聴聞などを経て 市民に対する警官の違法行動、権力乱用、非礼、傍若無人な振る舞い、不快な言葉の使用など警察の捜査、 行動に対する事実を調査して、もし事実が確認されれば、警視総監(最高責任者)に速やかに是正処置とるよう勧告できる権限をもっています。 苦情調査委員会は、1953年に警察署内部に苦情受付窓口を設置したことから始まりました。 現在のシステム、警察から独立した民間の組織となったのは、1993年です。 委員会の調査はすべて民間の委員によって公平に行なわれ、苦情申し立ては被害にあった本人のみならず、 目撃者、事件に遭遇した誰でも訴えることができます。 また、拘留中の人、強制的に自白させられて有罪になった人でも苦情委員会に訴える権利があります。 現在投獄されていても、訴えることができます。 苦情訴えはできるだけ早い方が証拠などの調査が効率的に進みます。 現在投獄されていても投獄されなくても、民間人には常に訴える権利があります。 警察職権乱用についての認識を持っている人は年齢にかかわらず誰でも苦情調査委員会に訴えることができます。 苦情調査委員会の調査の結果、申し立ての内容が正しいことが立証されれば、該当警察官は、解雇、懲罰受けるか、あるいはその出来事から18か月以内に再教育がなされます。 ただし、申し立てを受けた警察官によって犯罪を構成する場合、期限の制定は例外となります。 委員会に苦情申し立てをする場合、該当警察官の名前が判らない場合でも訴えることができます。 勿論、訴えるときはより多くの情報が常に有用です。 苦情調査委員会は日付、時、位置およびその出来事に関与した警官の詳細な記述が要ります。 たとえば、逮捕番号、法廷事件整理番号、および目撃者の名前および電話番号などがあればさらに有利です。 警察官の名前やバッジ番号が分からなくても問題はありません。 苦情調査委員会は、しばしば未確認の警察官に対する苦情を受けて、警察調書および他の証拠を使用して、それらを通常識別します。 コンピュータなど識別プロセス機器などを使って警察官の写真を見ることができます。 けれども、訴えるためにこれら情報を必要としません。警官の識別は調査担当者がやります。 調査結果、警官の不法な行為が判明すれば、懲罰処分などの勧告を追記して、警視総監(最高責任者)に送付されます。 この委員会の目的は、警察の横暴な行動によって、被害を受けた市民を救済できるように、苦情調査委員会に訴え出ることを 促進し、救済の道を開くことです。 また、同時にそれまでに市民の苦情を解決するあらゆる努力がなされたとかどうかも注意深く監視しています。 委員会の構成 この委員会は、市議会が任命推薦した5人と公安委員会が任命した3人、市長の任命5人、の合計13人の一般人で構成されます。 ただし、司法関係者や公務員はメンバーになれません。委員会のメンバーは、全員公表されます。 任期は、3年で、報酬は、手当てとしては日当がでるだけです。 委員会の責任 委員会は実際に調査を担当する調査員を雇うことができ、毎月市民集会を開催します。 民間人から選ばれ調査委員は、3週間のトレーニングを受け、その中で調査方法、証拠資料の入手方法、法律司法に関する知識を学びます。また、権力行使の制限、捜査、押収物の取り扱いなど基本的な知識を習得させられます。 委員会を通じて業務を監視し、政策の立案もします。重要なことは、苦情調査委員会が受け付けた苦情のすべてを調査し、結論を出すことです。 調査プロセス 苦情調査を依頼する方法 手紙による方法、電話、インターネットであるいは苦情調査委員会の事務所で申し込むことができます。 苦情を受け付けてから24時間以内に、苦情調査委員会の調査員は、依頼者に連絡をします。 連絡をとる調査員は、通常、全調査の間、該当する苦情の調査担当者になります。 調査は一般に以下のように進めます。 訴え内容の確認、面談 出来事の内容を最も正確で完全である記述を得るために、調査員は依頼者と面談します。 目撃者の調査 訴え内容の確認、面談の後、調査員は、名前を提供することができたものから、目撃者と連絡をとります。 調査員は、調査に役立つ情報提供を得ることができるかもしれない、他の目撃者(近隣居住者))を見つけるために事件現場 を訪れます。 証拠書類の収集 苦情調査委員会は召喚状を出す権限を持っていますから、商店および医療施設(カルテを見なければならなければ、本人の許可が必要です)から記録を得ます。さらに、苦情調査委員会は警察から適切な証拠書類をすべて得ることができます。 警官の査問 調査員は原告と会見した後、できるだけ早く目撃者と該当警察官と会見します。 証拠書類の目撃者から事情聴取および調査を通じて新しい情報を得るため、その警官としばしば再見します。 委員会へ調査内容 調査が完了すると、委員会へ調査内容を送ります。 委員会の3人のメンバーは、その調査内容を読み、証拠をすべて調査し、苦情処置について投票します。 主張が正しいことが判れば、その事件は、警視総監(懲戒問題の最終責任者)へ送付されます。 受け付けた苦情すべての警察官の名前は、処置にかかわらず、苦情調査委員会の記録に残し、警察に報告されます。 苦情調査委員会の調査の範囲 暴力、拷問、職権乱用、不当逮捕、自白強要、非礼および攻撃的言語、あるいは不必要な捜査、逮捕に関して苦情調査します。ただし、政治腐敗に対する苦情はニューヨーク警察当局に委託します。 調査にかかる時間 十分な調査を遂行するために平均10か月くらいかかります。ただし、事件ごとに、犠牲者、目撃者および警官の数によって異なります。 調査の全体にわたって、調査員はその事件の調査状況を随時報告します。 調査が完全に終了すれば、苦情調査委員会はその判決を当事者に通知します。 苦情件数 どれだけの告訴が毎年あるかというと、たとえば、2006年には、7,669の告訴がありました。 苦情割合は、2001年に4,251件だった苦情が毎年増加しています。 委員会の予算 委員会の予算は、会計年度2007年の予算は、10,379,510ドル(15億円)でした。 米国、国内ではおよそ90の民間の苦情調査監督機関があります。 これらの機関は異なる形式をとり、異なる司法および調査権を有しています。 苦情調査委員会はアメリカで最大の民間の苦情調査監督機関です。 (原文からの翻訳はJCNCC) (JCNCC 2007/8/25) 【フィードバック1】 このニューヨーク市の苦情調査委員会制度をわが国に導入しようとすると、検察、警察、司法の関係者は 大反対すると思いますが、それよりも国民の半数以上が反対するような気がします。 日本人は、江戸時代からずっと攘夷思想が染み付いていて、毛唐のやり方をそのまま導入するのは抵抗があります。 いま、議論されている陪審員制度にしても、国民の半数が反対しているのを見ても分かります。 東京都の石原都知事は、導入絶対反対でしょう。 予算がない、今のままが一番いいと言うでしょう。私は、導入賛成です。 (無職68歳 男性 東京) 【フィードバック2】 ここにご紹介されているシステムはこの国の理想です。外国ではここまで民が力を持っているとは読んでいて感心しました。この制度が、海外先進国では定着しているのをわが国の専門家や、司法関係者、マスコミは当然知っているでしょう。しかし、国民を目覚めさせないようにだんまりを決め込んでいる。日本の司法が一番民主主義から遠い所にあるような気がします。真の民主主義への道は、山の彼方といったところですか。 (自由業54歳、横浜) 文字、背景色を試験的に変えました。この方が読みやすいと思われる方は、 もとの方が良いと思われる方、 を押して下さい。 ご意見・ご感想は、ここから
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| コラム 現実化するフィクションの世界 航空機内に液体物持ちこみ禁止 今、ここでは季節はバカンス、お金持ち民族の大移動が始まっている。日本では梅雨が明けてから夏が始まるが 北米では梅雨がないから短い春が過ぎるとすぐバカンスの季節になる。 街中から住民が消え、かわって旅行者であふれかえる。 この夏、日本から海外旅行を計画している人は景気が好転したことによって例年よりも多いだろう。 団塊世代が、やっと職場から解放されて外気に触れようと出かける人や、長い間家族サービスもしなかったお父さんが やっと家族の一員に戻って家族サービスを計画しているひともきっといる。 子供がいない家族は、学校の夏休みに入るのを待たずにもう既に出かけてしまったシニアのご夫婦も居ることだろう。 最近、海外に出かけた人はもう既に気が付いたと思うが、昨年から、飛行機の機内に液体物を持ちこむことが禁止された。空港の関係者にその理由を聞いてみると少量の液体でも危険物に変わりえるからだという。 液体が危険物?このとき頭にひらめいたのは、昔、イブ・モンタンが主演の映画に液体の爆薬ニトログリセリンが出てくる。 これはダイナマイトの原料となる液体の爆発物で相当な危険物であることは誰でも知っている。 このニトログリセリンを、火災を起こした山の上の石油掘削現場に運んでいって爆破させてその爆風で 火災を沈火させることになった。 油田火災の消火はそれ以外に手段がない。だが、そのニトログリセリンを現場までトラックで誰が運んでいくかが問題になる。 石油会社の社内でこの危険な仕事に挑戦する若者を募るが誰も名乗り出ない。 そうしているうちに山の上の火災はどんどん勢いを増して燃え広がる。 いっときでも早く手を打たないと山全体が大爆発する危険性がある。 そこで、石油会社では、この運び手に多額な報酬を払う条件で一般から募集する。 このとき、この膨大な報酬を目当てに応募してきたのが金欠病の労働者(イブ・モンタン)だった。 一獲千金をねらって、この命がけの仕事に挑戦する。 このフランス映画の題名は「恐怖の報酬」、監督はアンリー・クルーゾー。フランス風のサスペンス映画で映画のはじめから最後までハラハラ、手に汗を握る緊張感が張り詰め、最後の「Fin」の字幕が出てきたとき、気が付いたら座席の背中一杯、冷や汗でびっしょりぬれていた。 だがこの映画は半世紀以上前に公開されたのになぜ今頃、機内に液体持込を規制し始めたのか、今年の初め、日本の空港関係者に聞いてみたところ 理由は、最近刊行されたサスペンス小説がきっかけになっているという。 そのときは、そのサスペンス小説が何かわからなかったが、最近その本の題名を空港警備関係者から教えてもらった。 ニューヨークの世界貿易センターの爆破事件(9・11事件)のときもそうだったが、大事件が起こる前には、必ずそのもととなるモデルが存在する。 9・11事件の1,2年前に同じ世界貿易センターの地下駐車場に大量の爆破物を積んだ車で進入して、爆破火災を起こして その熱で構造物の鉄骨を軟化溶融させてビルそのものを崩壊しようとした事件があった。 このときは、爆発物の量が不十分だったため、幸い小さなボヤで済んだが、この事件は、この後に発生する9・11事件と関係があった。 最近、刊行された液体物を使った航空機爆破を扱ったサスペンス小説は10年以上も前に起きたパン・アメリカン航空機 爆破事件からヒントを得たと思われるミステリー小説「セントローレンス河の十字塔」だという。 この「本」は、このWEBサイトでも紹介しているので読んだ人も居ると思うが、今までとは違って液体物を使った特殊な装置が登場する。執筆者の話によるとこの小説が発売開始された直後から特に空港関係者からの問い合わせが多く、液体の機内持ち込みがそのうち制限されるであろうことは、予想していたようだ。その装置が中学生でも簡単につくれるものだけに異常な速さで今回規制された。ミステリーの世界から発した警告が、現実に起こりうるかもしれないという疑念に世の中が動き出した。 これが航空機の安全に関すること以外ならば、単なる フィクションによって世界の 空港の安全基準を変えてしまうようなことはまず考えられない。だが、9・11事件以来、航空機の安全に対する関心の高さ、わずかな可能性でも未然に防ごうとする関係者の執念には頭が下がる。 犯罪は、時代の最先端の知識と技術、アイデアをとりいれてますます高度化していく。 小説に書かれた想像の世界が、いつ現実になるかもわからない。空港関係者が神経を尖らせるのも当たり前かもしれない。 しばしば犯罪は小説の先を行く。 その意味で、今回の液体物の機内持ち込み規制は厳しすぎるよう思えるが止む得ない。 これから海外に出かける人には、迷惑な話だが、反面、お土産にノータックスの香水やオーデコロン、ワイン、アルコール を家族、親戚、友人から頼まれた御仁には、大義名分を掲げて買わずに済むから出費が減る。この規制を歓迎している人も多い筈、一番この規制で困っているのは、空港内のノータックスのお店、香水やオーデコロン、ワイン、アルコールが売れなくて困っている人たちかもしれない。 (2007/6/25) 【フィードバック1】 わたしは、大のミステリーファンで例の本「セントローレンス河の十字塔」も発売と同時に買って読みました。 そのとき、そこで使われている犯罪手法が、もし、ゲリラか何かに流用されたら危ないな、とちょっと感じていました。 この記事を読んで、やっぱりという感想です。液体物の持込み規制までに発展したのは、航空関係者がゲリラ攻撃に 特に神経を尖らせている証拠ですね。 (主婦 28歳 千葉) 【フィードバック2】 この夏、ハワイまで商用で出かけ、帰りに空港でお土産に家内にオーディコロンを買おうとしたら、 持ち込み規制に引っかかりました。今までそんなことはなかったので何でだろうと思いました。 そのときは、理由がわからず、別のお土産にして帰国しましたが、このコラムを読んで やっと、理由がわかりました。罪な小説だなぁ、まだ読んでないけど。 (会社員 46歳 東京)
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| コラム 謝罪は玉虫色 くすぶる従軍慰安婦の問題 このところ、しばらく忘れかかっていた太平洋戦争中の従軍慰安婦の問題が米国の議会で再び注目を集めている。 2月12日に米国議会の公聴会に3人の証人が呼ばれ証言した。 3人のうち2人は、韓国人のもと慰安婦、一人はもとオランダ人ジャーナリスト(コラミスト)。 当時、20万人にものぼった慰安婦の代表として意見をのべた。 証言内容は、幼いとき旧日本兵に連れ去られて旧日本軍の慰安所で強姦同様に強制的に売春をさせられ、精神的障害を受けた。 その後、幼いころの心の傷、悲しい思い出がよみがえり、普通の人と同じような幸福な人生を送れなかった。 戦後も、日本政府はわれわれ(韓国朝鮮人慰安婦)を人間として扱ってこない、など、 証言内容は、昔とあまり変わっていない。 同じ頃、シーファー駐日米大使も、米下院外交委員会の公聴会で元慰安婦を「信じる」と証言し、 慰安婦が強制的に売春させられたのは「自明の理だ」と語っている。 また、慰安婦問題への旧日本軍の関与を認め謝罪した平成5年の「河野洋平官房長官談話」を日本政府が見直すことのないよう期待を示した。 同大使は、米国の一部記者団に対し、太平洋戦争中の慰安婦について 「強制的に売春をさせられたのだと思う。つまり、旧日本軍に強姦(ごうかん)されたということだ」と語っている。 これに対し、日本政府は「強制性示す資料なし」突っぱね 「全般的に、慰安婦問題に関する事実関係、特に日本政府の取り組みに正しい理解がなされていない」と米国議会の動きを 牽制した。 日本外務省は、ロサンゼルス総領事を通して米ロサンゼルス・タイムズ紙に投稿し、 「日本は罪を償った」日本軍が慰安婦問題に関与していたことを政府が93年に認めて謝罪した。 アジア女性基金の設立、首相の「謝罪の手紙」を添えて「償い金」が支払われてきたと主張している。 だが、なぜ今頃、同じ問題を米議会が再び取り上げ蒸し返しているのか。 それは、北朝鮮の拉致問題と深いつながりがある。昨年、日本から拉致された少女「めぐみ」さんの母親が、米国議会の公聴会に出席して 北朝鮮の拉致や強制連行の罪を非人道的な立場から証言したのが引き金になっている。 これらの問題では、米国は当事国ではない。第三者といってよい。 ということは、利害関係はないし、被害者としての国民感情も軽薄だ。 米議会が問題にしているのは、ただヒューマニズムという観点からだけだろう。 「戦後60年くすぶる火種」で述べたとおり、日本人が暴力(戦い)を否定して話し合いを強調する のなら、この問題の真相を解明しようとする姿勢がもっとほしい。 もともと日本の戦争責任には否定的な安倍首相の「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」発言は、 期せずして本音が出てしまった。 その後も政治家や政府は、米議会、被害者の真意をつかみきれず、 すれ違った主張を述べ、争いを誘発させんばかりの言動をくり返している。 この真摯でない態度は、拉致問題に対する北朝鮮当局の姿勢と変わらない。 米議会での元慰安婦の主張は、日本政府が韓国朝鮮人慰安婦を人間として扱ってこなかったことにたいしても 日本政府の謝罪を求めている。 ロスの総領事が英字新聞で「政府が93年に認めて謝罪した」といっているが、談話とか手紙とかメモとか非公式な文書上だけで、 公式な謝罪ではない。だから、今回、首相の「強制性示す資料なし」との被害者の顔を逆撫でするような発言がでる。 もし、公式に心底から謝罪していたのなら絶対このような言動はつつしむ筈である。 「償い金」についても、その基金は政府が出しているにもかかわらずアジア女性基金という民間の窓口を設立して支払っている。 即ち、謝罪に対する償い金ではなく、元慰安婦の生活支援金としての性格を装って、政府が直接かかわることを避けている。 この問題で、ニューヨークタイムスをはじめ各マスコミ、多くのインターネットのブログを眺めてみると 米議会や米国民は、日本政府高官の言葉のまやかしや欺瞞は見ぬいていて、 日本政府のいつもの態度に厳しい批判を向けている。 日本に今まで友好的な姿勢をとり続けてきた共和党の中にも、今までの同盟国日本とのあり方に 疑問を表す議員も現れた。 日本独特の裏と表の文化、表面だけを繕って本質は曖昧にしておく、これが国の品格を保つ心髄だという学者もいる。 玉虫色の決着ということばは日本ではよく耳にするが、これは意見が違う者どうしがその場を繕うとき利用される手法である。 議論を深めることが苦手な国民性が編み出した巧妙な着地法である。 着地はしたが決着は付いていないからいつまでたっても火種は残る。 靖国問題でもまったく同じことが言えるが、過去の朝鮮、中国への侵略戦争で旧日本軍が犯した罪は、 正直に、謙虚に被害者、被害国に謝罪するべきである。そうしないとこの問題は、100年たっても片付かないだろう。 ドイツは、過去の戦争でユダヤ人に犯した罪を正式に謝罪した。 米国も、第2次大戦中に在米日系人に対して行った強制収用などの罪に謝罪した。 なぜ、極東のこの地域だけ60年も前のことがくすぶり続けているのだろう。 米議会の議員がこんなことを漏らしていた。「古代中国の科挙制度−責任をまったく取らない高邁な官僚制度に根源がある。また、 同じ、中華民族(中国、韓国、北朝鮮、日本)の間では独特の自尊心やプライドがあり、西欧の国々の関係よりももっと複雑だ。」 ところで、拉致被害者の母親、めぐみさんのお母さんや拉致被害者の家族会は、この慰安婦問題をどう感じているのだろうか。 幼いとき拉致されて、強制連行された被害者、あるいはその親としての気持ちはどうだろう。 ブッシュ大統領まで関心を持った拉致問題も、今回の安部首相発言やロス総領事の発言でどっちもどっちではないかとの気持ちに米国世論が 変わってきた事は間違いない。 (2007/3/10) 【フィードバック1】 このブログを読ませていただいて、海外ではめぐみチャン拉致事件と慰安婦問題をおなじ犯罪と 見ているのには驚きました。 そうしたら、2週間後にこのブログとそっくりな内容の記事が米紙ワシントン・ポスト(3月24日) の社説で「安倍晋三の二枚舌」(*1)と題する記事を掲載しています。 ワシントン・ポストの記者がこのブログを読んだかどうかはわかりませんが、わかったことは 海外世論はこのブログと共通しているということで、少し外界が見えてきたような気がしました。 両事件で拉致された被害者は、北朝鮮の場合は、日本人を日本語教師や翻訳者として働かしたのに比べ、 日本の場合は、少女たちを軍人が強姦したり、売春宿で強制的に慰安婦として働かした、 とワシントン・ポストは書いています。 人間(女性)の人格尊重の点から考えると後者の方が罪が重いでしょう。 日本の拉致問題は、世界の中でひとつ大きな障害にぶつかりました。慰安婦問題を先に解決しないと、 みぐみチャンは、永久に帰ってこないような気がします。 少なくとも、今のままでは、先進国は日本に手を貸してはくれないでしょう。 (匿名女性 46歳 東京) (編集者注 *1) <米紙ワシントン・ポストの記事> Shinzo Abe's Double Talk He's passionate about Japanese victims of North Korea -- and blind to Japan's own war crimes. Saturday, March 24, 2007; Page A16
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| コラム 「勝者の文化」と「敗者の文化」 諸行無常ともののあわれ 長い不況の時期をどうやら脱して、日本経済にも明るさが戻ってきた。 新聞の経済面は、石油産業、金属、非鉄産業、円安の恩恵を受ける輸出産業に軒並み増収増益の字が躍っている。 団塊の世代が退職して企業の人件費の負担が軽くなったのが、企業収益を持ち上げた一因だとも言われている。 最近、豪華船で世界一周クルーズの予約も好調で、1千万から2千万円もするスイートルームから売り切れるという。 退職金をたんまり懐にした団塊のご夫婦の予約が多い。 1億円以上のオクションも好調で都心では半年も前に予約で埋まってしまうという。 巷では、国民の愛国心をくすぐるような著作「国家の品格」がベストセーラーになった。 これも団塊の世代に人気が高い。 「国家の品格」の著者、藤原正彦氏の復古的な武士道の世界にノスタルジックな感情を抱く団塊の世代の 心の琴線が共振したのであろう。 西欧的な論理、近代的な合理精神が、昨今の日本、世界を破綻にみちびく、との書き出しは、 なんとなくそんな不安を抱いていた団塊の世代に共鳴したのだろうか。 日本人が古来から持つ、わび、さび、 もののあわれなどの美しい情緒、武士道から来る慈愛、誠実、などが荒廃する文明国を救う 唯一の解決策、世界の範となって人類に貢献するべきと強調する。 確かに西欧の世界に住んでみると、もののあわれ、情緒、慈愛などあまり出会わない。 特に米国では、合理主義が隅々まで浸透していて、そこには、もののあわれや情緒などは影も形もない。 だが、もののあわれや情緒は日本人だけが持つ特殊な文化だろうか。 もののあわれのもとづえになっているものは、仏教の無常観、「万物は常に流転する」 という流転還滅観だ。そこから弱いものをいたわり、思いやるという情緒が生み出され、 武士道の敗者へのいたわりや不運なものに対する共感や思いやりがある。 もののあわれの本来の意味は、「もの」は万物を意味し、生きものに限らず生命のないものにも 心を動かされる感情を表したものだ。 私が、「諸行無常」という言葉に最初に出会ったのは、高校時代に受験勉強のために読んだ 平家物語の書き出しであった。 平家が栄華を極め、源氏との戦いに敗れ、没落していく有様を書いた戦記物語だった。 「もののあわれ」に類似した感情は、 神代の時代、自然崇拝、山岳信仰の時代からあったであろう。だが、その感情を「もののあわれ」と 定義づけたのは、多分、この平家物語が書かれた後ではないだろうか。 人の世界で考えれば、無常観、ものの哀れや情緒が生まれる世界は、 「勝者の文化」の裏側、すなわち「敗者の文化」だ。 自然を支配する神、強大な権力、支配者や独裁者の圧制下で無力な民(たみ)の感情であり、平家物語では 書き手の心のなかにあったのは敗者への感情だったろう。 米国という巨大で強力な国は、天変地異も少なく、他国の侵略や戦争にも負けたことがない。 だから敗者の苦しみ、 悲しみ、哀れを経験したことがない。 米国で敗者の苦しみを経験しているのは、わずかに黒人と南北戦争で敗北した南部の一部の白人だけだろう。 だから、無常観やものの哀れが育むところがない。 一方、欧州の国々はどうだろう。 何世紀にもわたって戦争を続け、勝ったり負けたり繰り返した歴史がある。 例えば、スコットランドやアイルランドは、9〜10世紀ごろ大陸から侵攻してきた ゲルマン大移動で英国の真ん中に住んでいた ケルト系住民は、戦いに敗れ寒い不毛の北部(今のスコットランド)や、西の小島(アイルランド) に追い出されてしまった。 私が中学生のころ、英語の時間にロンドンデリーの歌(ダニーボーイ)を英語で学んだ。 その詩はある種の恋歌だが、次の一節に、アイルランド人の無常観みたないなものをふっと感じたのは私だけだろうか。 今でも、アイルランド出身の女性ボーカルグループ・ケルテイックウーマンがこの曲を歌うの を聞くたびにその思いが胸をしめつける。彼女たちも英国人から迫害を受けたケルト人の子孫なのだ。 だからことさらその響きに胸が打たれるのかもしれない。 その詩の一部を原文で紹介しよう。 And when ye come, and all the flowers are dying And I am dead, as dead I well may be Ye'll come and find the place where I am lying And kneel and say an Ave(サヨナラ)there for me And I shall hear, though soft you tread above me And all my grave shall warmer, sweeter be . . . . . . . . . . . . . 時々不思議に思うことがある。 米国や英国でアイルランド人やスコットランド人にであっても、 まったく、彼ら行動、言動にはもののあわれや情緒みたいなものを感じないのだ。 長く付き合っていてもわからない。この詩に表されたような感情はどこから来るのだろう。 大国、ロシアとドイツにはさまれた小国ポーランドも常に東西の敵に侵略されて悲惨な歴史を持つ国だが この国にも日本のような情緒豊かな哀歌や文学がたくさん存在すると、ポーランド人の友人が話してくれた。 北欧やフランス文学にももののあわれ、情緒が豊かなものが沢山ある。イプセンやビクトル・ユーゴーの文学にも 圧制下、悪政のもとで生きる一抹の人の哀れさがある。 アメリカを代表する米文化には、もののあわれ、情緒が確かにかけているようにも見える。 アメリカといってもアメリカ人にも敗戦の経験がないわけではない。 ベトナム戦争のころの反戦歌の中には、「花はどこに行った」「7つの水仙」「風に吹かれて」など、 日本文化の情緒に近いものが感じられるものもいくつかある。 他国の文化に日本人がはじめて触れたとき、カルチャーショックと呼ばれる激しい違和感に遭遇する。 そのうち、心の中で両者の対比が始まり、一部賛同にかわる。それを過ぎると 日本文化の良さを再認識し、やがて優越感にかわる。 この傾向はごく自然だが、 この時期を越えると、比較心は減り、異文化の中に多くの点で相似性を見つける。 ここに到達するまでに、10年20年以上かかるかも知れない。いやもっとかかるかもしれない。 あるいは、そこに到達するのは至難かも知れない。 40年位前に出版され、 日本人論を展開するきっかけになったイザヤペンダサン著「日本人とユダヤ人」という本も 読者の共感を得て、そのころ100万部を超えるベストセラーになった。 この本では日本人とユダヤ人の文化の違いが紹介されている反面、日本文化とユダヤ文化の 類似性が多く紹介されている。当時、その類似性に驚かされ、 両文化に精通した人でなければあれだけ詳細に書けないと思った。 もし日本人がこの本を書いていたら、両文化の類似性をあれほど多く見つけられなかったであろう。 当時から、イザヤペンダサンは、山本書店の店主、山本七平だと思っている人も少なくないが、 最近はイザヤペンダサンに相当する人物は イスラエルに住む博士号を持つ日本文化の研究家のユダヤ人であるかことがわかった。 日本の文化を理解できる外国人は少ない。侘びやさびなどはまったく理解できないだろう。 いたとしても、日本文学を専門に研究しているほんの一部の人だけだ。 その逆も同じことが言える。他国の文化の奥ゆかしさはその国で生まれ育った人しか知らない。 それを日本人は理解できないから自国の文化だけがことさらすばらしく見える。 だから、日本文化が他国のどの文化より優れていると結論を出すのは非常に乱暴な気がする。 他国の文化の中にも、呼び方は違っても日本と同じように詫びやさび、 ものの哀れを愛でる情緒や感情があるだろう。 武士道や日本文化が世界で至上だとするのは、アイルランドやポーランド、その他国から異論が出てきそうな気がする。 (2007/2/15) 【フィードバック1】 はじめて書き込みをいたしました。いつも、読むだけで失礼しています。 幼稚な書き込みは、恥ずかしくて遠慮していました。 確かに、いろんな国にはそれぞれの文化があるはずです。日本だけ優れていると考えるのはおかしいですね。 (27才女性 横浜) 【フィードバック2】 はじめてまして。この欄をいつも読ませていただいております。 日本のマスコミにはない辛らつな切り口と歯切れの良い解説は読んでいて爽快です。もっと続けてください、応援しています。 (匿名希望)
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| コラム 中国、韓国に抜かれる 力を失っていく日本 2006年もあと数日、今年もいろいろなことがあったがまもなくその幕が下りる。 月日が静かに、淀むこともなく大河のように流れ、旧い年が終わる。 いつも新しい年を迎えるこの時期、 辛かった思い出は過去に捨て、今年かなえなかった夢を来年に求めて期待が膨らむ。 ギリシャ神話では、時の神、クロノスが辛苦を洗い流し、醜いものを美しく変えていく、 忘却が支配するという。 また、クロノスが司る世界では、時が万物に自浄作用をうながし、時がなにもかも解決してくれる。 時がたてば嫌なことは忘れ、 良策を生み出し、過去よりは今、今よりは明日、輝かしい世界にあゆみをひろげる。 だが、クロノスが存在しない世界ではいつも時が良いほうに導いてくれるとは限らない。 クロノスの神に見放された世界は、時が奈落のそこに引きずり込むことだってある。 そんな観点から見ると、本当にクロノスは居るのだろうかと戸惑う。神話の世界だけの話だろうか。 この四半世紀、わが国はわずかながら年を追ってゆっくりと沈んでいっていないだろうか。 国外から眺めていると、より明白にそれがわかる。 多分、日本では 自身がこの流れのなかで流されているためにこの動きに気がつかない。 つい最近、カタールのドーハで開かれた アジア大会、金メダルの数で日本は中国、韓国に抜かれ、3位に転落してしまった。 このでき事は、日本の国技である柔道が、40年前にオランダ人に打ちのめされたときに匹敵するショッキングなニュースだった。 いつごろから、日本はアジア大会での王座を明渡したのか。 だが、このニュースをこれだけ重大に考えた日本人は少ないだろう。新聞、マスコミもそれほど重大なこととして扱っていない。 その理由は、「日本はアジア大会をそれほど重要視していないから一流選手は送っていない、3位でもやむ得ない」 と関係者が言う。本当にそうだろうか。 ベストメンバーなら、韓国や中国以上に金メダルは取れるのだろうか。 一方、12億人を抱える中国にはとても勝てないという意見もある。だが、韓国は5千万人足らずだが 一億二千万人の日本に金メタルの数では勝っている。 どうもこの弁解は、曳かれ者の小唄のように聞こえて仕方がないのだ。 1964年東京オリンピックのとき、日本の神永が無差別級でオランダ人のヘーシングにマットの上で木の葉のように押しつぶされた。 この瞬間、日本人の柔道にたいする優越感が粉々に砕かれた。 東京オリンピックの後、政府は閉会式の行われた10月10日を「体育の日」として国民休日の日と決める。 毎年10月10日になると、「体育の日」という漠然とした祭日ではなく、 日本の国技が、西洋人によって打ちのめされた屈辱の日として頭に焼付いた。 あの神永の悔しそうな姿、マットに押さえ込まれて 全く動けなくなった死に態、勝負が終わってからもマットから立ち上げれなかった惨めな敗北感、 あの映像はいつまでも網膜に残った。 今月、台湾で開かれた、もう一つの日本の国技、剣道の第13回世界選手権でも日本は、米国、韓国に負け3位の転落した。 相撲の世界でも、モンゴルの力士に王座を明渡している。 今年、2006年にスロバキアで開かれた世界の高校生が参加して競う数学オリンピックでは、中国が 金メダル、ロシアが銀、韓国が銅メダル、日本は7位だった。 スポーツや数学の世界では、その国の実力が非常にわかりやすく勝敗という物差しで表されるがその他の分野ではどうだろう。 今年まで日本はアメリカに次ぐ世界2番目の経済大国の座を占めてきた。 だがそれも、来年以降は怪しくなってきた。すぐ後ろに中国が迫っている。 約20年前、石原慎太郎の著書「Noといえる日本」の中で、「アメリカのミサイルや兵器は日本のハイテク技術に依存している。 特に半導体や 集積回路(IC)は日本製のものがないと飛ばせない」と豪語していた。確かにその頃の日本は、半導体、IC(DRAM)の生産量は世界一で アメリカは、安い良質の日本製のものに頼っていた。 だが10年程前から、日本製のICは使わなくなった。もっと安くて性能の良い韓国製のものが世界を席巻していた。 たちまち、日本は、半導体王国の座を韓国に奪われてしまった。 四半世紀前までは、北米のショッピングモールの雑貨店のウインドウには、Made in Japan の品物がずらりとならんでいたが、 今ではそれらすべてが Made in China にかわった。 最近、株式市場では、日本を代表する超大企業、新日本製鉄が韓国のサムソン電子に「M&A(企業買収)される日もないとはいえない」という うわさも流れ始めている。なにしろ両社の年間売上げは10倍も違う。 静かにゆっくり沈んでいくように、弱っていく容態を映し出す指標は、まだある。 内閣府の発表では、2003年(暦年)の1人当たり名目国内総生産(GDP)は、3万3727ドルだった。 経済協力開発機構(OECD)加盟国30か国のうち、前年の6位から9位に後退した。 日本の1人当たり名目GDPは、1993―94年は1位だったが、 その後は円安や景気悪化で1998年に6位に後退した。2001年以降は3年連続で順位を下げている。 これらの諸指標から、日本がアジアで、世界で過去の輝きを失っていくのが見える。それもゆっくりと、自身が気がつかない 速さで ・・・。 さて、どうすれば坂道を転げ落ちるのを止めることができるだろうか。 ここで真っ先にしなくてはならないことは、「いま、沈み行く船を再浮上するにはどうしたらよいか」の議論ではない。その前に、 沈み行く原因を徹底的に調べ上げることが方が重要だろう。何故、我が国の沈下は進むのか。どこかに原因があるはずだ。 社会制度、教育、政治、諸々の規制、どれをとってもひずみが出はじめている。 だが、その原因の調査は一向に進んでいない。JRの事故 (『JRの事故は首都圏でも起るか』)のところで書いたように、 当局もマスコミ、国民もいっときは関心があるがしばらくすると忘れてしまう。当事者もあまり深く原因を掘り下げて調べない。 それには理由がある。 和を重んじる、奥ゆかしい日本の文化の世界では、この原因究明が非常に苦手であるように見える。 多くの場合、「敗軍の将、兵を語らず」にしたがって負けた原因の 調査を徹底的にやらない。やっても形式的に済ましてしまう。 昨今の日本経済の後退は、バブルの性だとする人は多い。ではどうしてバブルが発生したのか、 どうしてバブル崩壊が止められなかったのか。どこに責任があったのか。誰も明快な答えを出していない、 曖昧なままだ。 欧米では、将来の予防に役立てるために敗因の調査を徹底的やる。 ところが、我国では原因の本質を曖昧のまま残して、それぞれの責任当局への糾弾を控える。 この古来の習慣は、将来の国力沈下防止に役立たないのは勿論だがそれ以上に有害であり、 同じ失敗を未来永劫繰り返すことになる。 経済のように複合的な原因があるならば、当然、その原因一つ一つを解きほぐして解明する必要がある。 欧米の調査はそこまでやるのが普通である。 当事者は曳かれ者の小唄など唄うことのないよう、それぞれの体制をオープンにして深く広く諸原因を論究したい。 教育問題のタウンミーティングのように、サクラを使ったヤラセ質問に終始していてはなかなか問題の本質は見えてこない。 過去の戦争のとき、作戦失敗の原因の解明が適時正確になされなかったため帝国陸海軍の滅亡を早めたことは 多くの専門家(失敗の本質:戸部良一ほか)が指摘している。 今日でも、綿密な精度の高い敗因の追及が重要だということは変わっていない。 (2006/12/15) 【フィードバック1】 はじめまして。この欄をいつも読ませていただいております。 私も、この国の衰えを感じている一人ですが、今後さらに高齢化、少子化が拍車をかけていくのではといつも懸念しております。 ただ、日本より人口の少ない国々でも日本より優秀な国もあります。 これからの課題は、国制の老化(体制疲労、諸制度の硬直化)をどう乗り切るかだと思います。(匿名希望) 【フィードバック2】 バブルの崩壊と国力の低下は関係があると思います。 アメリカより先にバブル崩壊した日本を、アメリカは徹底的に研究して自国のバブル崩壊の被害を最小限とどめたのは グリーンスパンの再三の議会証言であきらかになりました。 日本の経済専門家以上に丹念に詳細を分析していたようです。(匿名ニューヨーク在住)
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| コラム 「偽履修」皆で誤魔化せば怖くない 正義感を失った学問の場 全国の高校で必須科目の教科を教えないで教えたことにする 虚偽のカリキュラムが長い間行われて来たことが最近明るみに出て、 国の教育行政への信頼性が揺るぎだした。 この問題は、関係者、学校校長の自殺者まででる悲劇に発展、 いま、その責任の所在と修復方法の模索が続いている。 その騒ぎの発端は、「ごまかし履修」が長年、全国の高校で続けられてきたことが発覚、 進学率向上、週五日制教育、ゆとり教育がその背景にある。 父兄、生徒、学校、教育委員会、文部科学省、お互いの立場から収拾策を探っている。 文部科学省が公立の全高校を対象に緊急調査をしたところ、 全国の高校で、本来必要な履修単位を取得させないまま卒業させたり、 教育委員会に虚偽のカリキュラムを提出したりしていた。 必修逃れの学校は、これまでに全国35都道県で計249校に広がる。 また、大学推薦入試のため、未履修の科目を履修したように内申書を書きかえ、 生徒の願書をすでに大学側に提出していた学校が、少なくとも20校以上あることも判明した。 履修漏れ問題の波紋はまだまだ広がりを見せている。 富山県の高校では、すでに5人が大学や専門学校に推薦入試の願書を提出。 大学などに提出した内申書には、実際には必修の2科目のうち1科目しか履修していないのに、 未履修科目に履修した科目と同じ成績をつけていた。 教育委員会に必修科目を履修しているかのような 虚偽報告を行っていた学校の大半が、進学校だった。 徳島市の私立高校では、校長が履修漏れがあったのを知りながら、教員に対し、 生徒たちに「履修漏れはない」と嘘の説明するよう指示し、 岡山県、青森県の高校も、推薦入試の内申書に別の科目の成績を記入していた。 ただ呆れるばかり、こんないんちきが教育の現場で横行していたのだ。 この問題を深く考えていくと、もっと深刻な問題が起きていたことに気がつく。 偽履修、いんちき、ごまかしをしていた学校の多くは この国の中枢で活躍する人材を育成する進学校だったということだ。 いんちき、ごまかし、欺瞞、詐偽、瞞着、ぺてんなどの行為が 高名な進学校の教育現場で堂々と何年も続けられてきたこと、これは看過できない。 伊吹文科相を始め各都道府県の教育委員長、校長に問いたい。 ーあなた方は、「教育の原点なるものは何か」をご存知だろうか。 教育とは学問を教えるだけではない。その前に、学問を習得する「心がまえ」を生徒に教え、 身につけさせなくてはならない。 学問は使い方によっては善にも悪にも利用できる。 人間生活に有益であるはずのものが、あるときは、 恐ろしい道具にもなる。 空手の世界では空手道というものがある。空手技は強力な護身技であると同時に その使い方によっては、他人を殺傷したり 死に至らしめる。それゆえに、その道を学ぼうとする者には、 技(わざ)を教える前に、空手「道」なる厳格なルールを修業者に叩き込む。 その「技」と「道」との両輪を学んで有段者が生まれる。我が国古来の武術では必ずこの厳格なルール「道(ドウ)」がある。 ところが、今回の「ごまかし履修」問題では、その学問を教える教育現場で、 いんちき、ごまかし、欺瞞、詐偽、瞞着、ぺてんなどの行為が堂々と長年行われていた。 「ごまかし履修」教育関係者は教育の本質を無視した欺瞞者だった。 「ごまかし履修」が公然と行われていた進学校の卒業生は有名大学に進み、 高級官僚になったり、企業の中枢で社会を動かす人材である。 その人材が、ゴマカシ教育で育ってきたのでは将来、社会から信頼を得られる人間になりえるだろうか。 あるいは、この社会を正しく導くことができるだろうか。 その環境で育ったエリートが社会に出て、論文捏造したり、学問を悪用して私腹を肥やす学者や、 汚職高級官僚があとを絶たない現状を眺めるとそれも当然のように思える。 有名大学出身者が中央、地方の官僚社会を固め、彼らによって学歴社会を巧みにつくりあげ、 国民の税金を合法的に自分のものする悪巧みに学問や知恵が利用されていないか。 官製談合、天下り、退職金渡り鳥、巧妙な汚職などの当事者は有名進学校、一流大学の出身者ばかりである。 村上ファンドの村上氏、ライブドアの堀江氏などは、高度な学問を駆使悪用した典型とも言える。 最近、企業不祥事が続く中で「法順守」が叫ばれているが、裏返せば今の社会では 如何に法やルールが軽視されているかと言うことだろう。 大企業が企業ぐるみ談合をやり、何十年もリコール隠しつづけ、加入条件をごまかして 保険金不払をやる(*註)。 よく調べてみると、これら大企業の幹部は、全て有名大学出のエリ−トであった。 ある大企業の幹部は、「法を守っていては企業が成り立たない」とうそぶく者すらいる。 今までの常識では、法を破るものは、低学歴のものに多く、高学歴になるほど順法精神が強いものと社会から 信頼されていたが、最近では、残念ながらこの常識は通らない。 学校という公正、公平の志を学ぶ純粋な教育の場で、いんちき、ごまかし、欺瞞、詐偽、瞞着、 ぺてんなどの不法行為がごく普通に罪悪感もなく日常茶飯事のこととして、生徒に馴染ませてしまった今までの 進学教育がこの背景にあった。 学門を学ぶ志、社会のルールを尊ぶ順法精神を叩き込む教育は、小中高校だけではない、大学でも必要であることは言うまでもない。 この点においては今の教育現場では、社会のルールを尊ぶ精神が欠如している。 教育を施すということはなにから始まったか。その起源は、 世界で最も古いと考えられる英国のオックスフォード大学、フランスのパリ大学、イタリアのボローニア大学の 例が参考になろう。 その生い立ちは、神学校である。11〜12世紀ごろ創られたとされている。 我が国の平安朝時代にあたる。 神学校は、宗教的な要求から学問を高僧から学僧に伝授するところだった。 即ち、神のみぞ知る森羅万象を人間に伝授するという考え方から始まった。 それ故、学問は神聖であり、ゴマカシや欺瞞など入り込む余地もない神学哲学、そこに起源があった。 (今でも学問における最高学位、博士号は、音楽でも物理でも 経済学でも全部、哲学博士(Doctor of Philosohy)の称号となる) そこでは、人間社会の汚れた私利私欲、利害損得などは排除され、学問をするものは学問 を悪用しないように徹底的に教え込まれた。 たとえば、オックスフォード大学では、新入生のころ1年間は、授業指導教官のほかに モラルチューター(道徳指導教官)が一人一人について、 学生のモラルを個人的に矯正していく。このモラルチューターの存在は、将来、学生に人間として大きな自信を植え付ける。 新入生は知らず知らずのうち正義感の強い紳士淑女に生まれ変わっていく。 英国紳士の名声が高いのは、高等教育の場で、このモラルチューターの存在がある。 このモラルチューターの指導で教育を受けた英国紳士は、後に高級官僚に、有名企業の幹部になったりするわけだが、 我が国の官僚のように、天下り、退職金目当ての渡り鳥、汚職などの薄汚れた 私利私欲、違法行為に手を染めることは非常に少ない。 また、役所や企業の中で学閥、派閥をつくったり保身工作をするものも少ない。 高学歴、肩書きを利用して私利私益に走る我国のエリートを見ていると英国の教育制度で採用している モラルチューター制度が高等教育の場で必要ではないかといつも考える。 文部科学大臣、文部科学省は、偽履修科目の補習時間を軽減する救済策を出した。 それを見ると、規定時間の半分くらいの補習かレポートで良いとした。偽履修で卒業したものも 履修したものとするとした。 では、まじめに履修した生徒との不公平はどうなるのか。履修もしていない学科を履修したものと して認めて良いのか。 この妥協案を見ると教育関係者の頭に、公正、公平な教育者として自覚がない。 これは、まさに「赤信号、皆でわたれば怖くない」式の考えで、どんな法律もルールも皆で違反すれば 違反が許されるとする考え方を生徒に植え付けてしまわないか。 大人の世界には「お前いつになったら大人になるんだ」という、 真正直に法を守る人に対する蔑視言葉がある。 だが、真正直に法を守ろうとする大人がいたからこの言葉があるわけで、 法を曲げてごまかし教育を受けた世代では、正直に法を守ろうとする大人すらいなくなる。 法や規則を生真面目(きまじめ)に守るものは損をする。法を守るものはバカだ、子供だ。 法なんか勝手に曲げられる。という 間違った概念を、社会人になる前のエリート学生が身につけてしまっては この社会の将来は、真暗になる。 昨今の受験生にこの手のずる賢さを見受けるのは 稀ではない。 教育の場には、汚れた大人の処世術など持ち込むべきではない。不器用でも良い、不細工でも良い。 非効率でも良い。純粋な公平、公正、真直ぐな学問の道を教えるべきことをこれからの教育者は 自覚してもらいたいものだ。それが神学を原点に持つ教育であり、ゆとり教育の真髄だろう。 ここで、超法規的措置など考えてはならない。オランダのハーグ事件のときとは事情が違う。 人の命がかかったせっぱ詰まったときとは違う。 教育の原点に戻って、履修しなかった教科はちゃんと履修させるべきである。 法やルールの抜け道など作ってはいけない。 うしろめたい学問の場、未履修を履修にするような教育であってはいけない。 曲がったことを排除して正々堂々とやるべきだ。それで初めて、教育者として世間から尊敬される。 合格率しか頭にない教育者は、一度、頭を切り替え、もう少し遠くを見据え生徒が正義感がある 真の社会人に育っていくことまでも考えてみよう。 社会に出て、談合、天下り、退職金渡り鳥、汚職を繰り返す賢い官僚、政治家、企業家, カルテ改ざん医者を生み出したのは、 ルールを軽視した世渡り偏重教育にも責任の一端がある。 やるべきことは、真の教育者が集まって入試制度の大幅な改変に着手して、ほんとうのに優秀な生徒を選抜する にはどうしたら良いかから始めるべきではないか。 入り口を広くして、出口を極端に狭くする欧米式の大学のあり方も参考にしてほしい。 (2006/11/5) (註*)財閥企業の犯罪
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| コラム 鬼に核棒―核兵器、北朝鮮 独裁者が手に入れた核 第二次大戦後、欧米戦勝国は勝ったにもかかわらず一抹の深い反省の重い空気が彼ら自身の心中に残った。 それは、この世で人類がはじめて経験した地獄絵のような殺人工場の出現、広範囲で、民間人まで巻き込んだ原子爆弾を含む 多量殺戮の爪あとであった。 ヒットラー率いるドイツ・ナチズムの台頭とそれが引き起こした戦争、ユダヤ人を地上から抹殺しようとした人種差別の悲劇。 その反省の髄にあるものは、 「何故、あそこまで独裁者ヒットラーの横暴な振る舞いを 周辺諸国は許してしまったのか」 という点にあった。 それは内政不干渉の精神を重んじすぎたためか、第一次世界大戦の敗北後の 莫大な賠償金で疲弊したドイツ、そこで起きたナチの勢力拡大に寛容でありすぎたためか、 それとも彼の狂人ぶりの 実像が見えなかったのか、いずれにしても第一次戦争後の異常なナチの行動を過小評価し、 結果ヒットラーの独裁を許してしまった。 「誰も止められなかったのはなぜか」 英国もフランスも平和的な話し合いの解決を重視しすぎたために、無法独裁者を抑制できなかった。 第2次大戦での教訓は「偏狭な独裁者に、話し合いは通じない」ということだった。 狂った独裁者にたいして、実力(武力)行使は止もう得ない。その方が将来、国際社会に無限に広がるかも 判らない災いを未然に防ぐ最良の政策である。 早めに災いの芽を摘む、燻る火のこは水をかけてすぐに消してしまう、 この教訓を戦勝国が実感したのは当然だろう。 以降、戦勝国が世界平和を維持させる戦略にこの教訓は生かされ、今日、西欧諸国(連合国)では、 ごく普通に受け入れられている。 それから60年、この「武力による介入」は西欧の世界で、何度か行使されてきた。 たとえば、最近では1990年代の旧ユーゴスラビアのコソボ紛争解決もその一つである。 ミロシェビッチ大統領率いる少数派のセルビア系住民とアルバニア系住民の民族紛争があった。 このとき調停役で送り込まれた国連代表明石氏は、 一貫して両者の話し合いでこの紛争の解決をはかろうとした。ところが、 話し合いが続いている間、民族間の迫害、虐殺など事態は益々悪化の道をたどる。 そこで、EU(欧州連合国)とアメリカは、話し合い重視の明石代表を更迭してしまった。話し合いは、ミロシェビッチの時間稼ぎに過ぎなかった。 EUとアメリカは、その後コソボのセルビア勢力に、武力行使、空爆を開始する。 こうしてミロシェビッチ大統領を失脚させ、セルビア系住民をコソボから撤退させてこの紛争を終結に導いた。 もう一つの例は、1980年代には、アフリカのリビアに出現したイスラム教独裁者、カダフィー大佐の独裁国家制圧がある。 リビアは、1980年代に数々のテロを世界中で引き起こしてきた。ロンドンでは、テロ警戒中の 警察官が射殺され、1988年にパン・アメリカン航空機爆破事件を起こした。核兵器の開発も着々と始めていた。 米国は、リビアをテロ支援国家と名指して、経済制裁を続けたが効果があがらず、 ついにリビアのカダフィー大佐官邸を空爆する 軍事行動にでる。 軍事行動のあと、リビアはIAEA(国際原子力委員会)の核査察を全面的に受け入れるようになる。 後年、核開発全面放棄を宣言してテロ支援を止め、アメリカ、欧州などとの 関係の改善が進んだ。こうして、狂人の手に核が入ることを阻止することができた。 この他には、パナマ共和国のノリエガ独裁にもアメリカは軍事制裁をして解決した。 大量破壊兵器を隠匿しているという誤った情報から軍事介入をしたイラク・フセインの例もあるが、 フセインの場合も、核兵器の開発を秘密裏に進めていたことは判明している。 狂った独裁者に核兵器を持たしてはならない、これが国際社会のコンセンサスである。 今回、北朝鮮の場合もアメリカをはじめとする欧米各国は、これと同じ制裁を頭においていた。 それが何故できなかったのか、その理由は日本、韓国、中国などアジア近隣国の話し合い重視の解決策に 欧米各国が期待をしたためだ。 特に韓国が主張した南北融和策は、将来の半島統一を考えたとき最良の策と受け取られていた。 経済的に優位な韓国は、北朝鮮を併合して ドイツのように統一するシナリオを描いていた。 だが、この南北融和政策は、北朝鮮の核開発のための時間・資金稼ぎにうまく利用されていたにすぎない。 北朝鮮の金正日は、経済的に優位な韓国に隷属的に併合するのを嫌った。 半島統一という目的は同じでも北朝鮮が優位な条件で統一したい。 北朝鮮が「主」で韓国が「従」の立場で統一したい、北には南を吸収併合するシナリオしかない。 それには、軍事的に優位にたつことが不可欠である。韓国の指導者は、この金正日の胸中を読み取れなかった。 一方、欧米のアジア問題専門家の間では、北朝鮮が麻薬、偽札、兵器輸出で得た外貨や、 海外からの石油、物資などの資金援助の大半が自国の貧困救済や経済発展には使われず、 どこに消えていくのか不思議でならなかったが、やがてその資金はすべて軍資金として消えていっている ことを突き止めた。 たとえば、数年前に北朝鮮の飢餓を救うため日本から人道援助として米200万トン、(4,5年前に追加支援として50万トン)を無償援助している。 だが、その米は北朝鮮に渡る前に日本の商社を仲介して売却され、 その売却金は北朝鮮の核兵器を開発の軍資金として使われていた。 北朝鮮が優位な条件で南北統一したい。その目的で、話し合いに乗る振りをしながら 裏では着々と核開発を確実に進めていた。 北朝鮮は、リビアの結末は良く知っているからアメリカの武力攻撃を回避するために、 隣国との話し合い戦術を盾にうまく利用した。 北朝鮮の戦術は、米国との直接対話を提案、合意してから最後にその合意を破棄する。 こうやって核開発の時間を稼いだ。 その巧妙なやり方は、米国はクリントン政権時代から北朝鮮と直接交渉を始めているが、 その経緯を見るとよく判る。 1994年、核兵器に転用可能な黒鉛減速炉から転用が利かない代替軽水炉をアメリカが提案して、これに合意した。 代替軽水炉の発電所を北朝鮮に無償で韓国、日本が建設し、完成までの間の火力発電用の重油をKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)を通じ 米国が無償で提供する約束をした。 ところがその過程で、北朝鮮政府は労働者に対する賃金の上乗せを要求してきた。 この要求により、日本や韓国は予算編成の見直しを迫られ、 工期のズレ、完成時期のズレが4年にも及ぶ事となった。それと同時に、 4年間の重油供給の延長を要求され、米国政府は仕方なくそれを行う事となった。 その合意で、IAEA の査察受け入れを調印したにもかかわらず、北朝鮮はこの査察の開始に対し保留を続け、 IAEA査察チームを国外退去させた上、IAEAの監視カメラも全て目隠しした上で黒鉛減速炉での発電を再開させ、IAEAを脱退した。 さらに、2005年に北朝鮮政府は、核不拡散条約(NPT)脱退、核兵器保有宣言を行った。 これだけでもわかるとおもうが、アメリカは今まで北朝鮮との直接交渉を必死で続け、翻弄され、あげく裏切られた。 今、北朝鮮は米国が直接交渉に応じれば、核兵器の放棄の可能性もあるようなコメントを繰り返しているが、 アメリカは、もう騙されないと言う態度は永遠に変わらないだろう。 西洋人は一度、裏切られたり騙されたりすると、東洋人に比べていつまでも執拗に覚えている。 西洋では、七十五日経つと忘れてしまったり、水に流してしまう東洋的な文化は存在しない。 北朝鮮の核開発は事実上、完了している。起爆装置の製造には欠かせない高爆実験も済んでいる。 核兵器とミサイルを持ってしまえば鬼に金棒だ。独裁者にもう怖いものはない。 今回の核実験で事態は一変した。 独裁者が核を持ってしまったことだ。今後、金正日は何をしだすかわからない。 狂人が核のボタンを押せば、100万人からの被害者が出る。 そう遠くない将来、核ミサイルは、ソウル、東京、大阪、沖縄にそれぞれ向けて設定されるだろう。 ソウル、東京、大阪、沖縄を核弾頭で壊滅的な焦土に化してしまえば、経済大国の心臓は止まる。 「東京を火の海にする」と言った金正日の言葉が現実になる。 例え、米国の核のかさの下に居ても、予告もなしに多弾頭(マルチヘッド)ミサイルを 何発も続けて打ち込まれたときは、迎撃網は通り抜けられる。 完全迎撃は、米国の今の技術では不可能だ。 核の被害にあった韓国、日本の復興には、20年はかかるであろう。その間に、北の軍主導で南北統一は 順調に進む。 こんな最悪のシナリオが起きないことを祈るが、今までの周辺国の 説得力、認識力の甘さを考えると現実味を帯びてくる。 核の飛び道具を一度手に入れてしまえば事態はいままでとは全く逆転する。 相手に飛び道具の銃口を向けながら外交を進めれば独裁者の思いのまま、 銃の引き金に指をかけた狂人の言うがままになるしかない。 引き金は絶対引かないだろうなどと楽観的な考えはこれから捨てた方が良い。 特に一億余の国民の生命の安全を預かる政府は、危機管理に甘さがあってはならない。 1994年ごろ、米国は真剣に北朝鮮の爆撃を検討したことがあった。 だが、中国、韓国、日本 の同意が得られないで 実現しなかった。もし、あのとき、北朝鮮の核施設を空爆で破壊していたら北の核装備は阻止できた。 反面、米国が十年前に実力(軍事)行使して北の核兵器の開発を止めていたら、中国、韓国は、当然、過敏に反応して、 激しく米国を非難したであろう。 だが、もうアメリカは、核保有国になった北朝鮮には武力制裁はできない。完全に機会を逸した。 これからは、日本も韓国も独裁者金正日が暴発しないように気を遣いながら一歩引いた外交政策を余儀なくされる。 話し合い解決は、確かに平和的で理想的だ。だが、ヒトラーやカダフィーのような狂人的な独裁者には全く機能しなかった。 逆に、彼らの思い通りに利用されてきた。 この種の狂人独裁者には、毒をもって毒を制する手段も必要であることが今回のことでよく判る。 拉致問題に視点を集め、振り回されてきた日本は、今度の北朝鮮の核実験発表で、 北朝鮮が水面下で進めてきた裏のシナリオ(軍事的南北統一)の筋書きが、やっと読めたのではないか。 一時、金正日が拉致問題を解決しようと動いたのは、 日本人が考えているように、北朝鮮の経済振興のために日本からの賠償金を必要としたからではない。 軍資金が必要だったからだということがわかった。 もし、あの時、拉致問題が解決していたら、日本は多額の戦後賠償金の支払いに同意していたかもしれない。 日本を攻撃破壊する核兵器開発に日本国民のお金をせっせとつぎ込むような滑稽なことにならないでよかった。 安部首相は、北朝鮮制裁強化を打ち出しているが軍事力を伴わない制裁が、 どこまで効果があがるか検討しなおしてみる機会である。 リビアのカダフィー版(空爆)解決ができない、いま、せめてフィリッピンのマルコス政変版(独裁者の退路を用意する) くらいの解決努力を、日本は米国や近隣諸国と協同して、速やかに取り組む必要がある。 (2006/10/15) 【関連記事】 北朝鮮からのミサイル攻撃
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| コラム ネオ・ナチ(?)ネオ・ミリタリズムの台頭 靖国メモが浮き彫りにしたもの 今年の終戦記念日(敗戦記念日)を前に、昭和天皇の御考えを、亡くなる前にメモした 元宮内庁長官、富田朝彦(故人)の日記の一部がマスコミ(日経新聞)から公開された(靖国メモ)。 そのメモの中に太平洋戦争の戦争責任者、A級戦犯(*註)のことが記されている。 これを読むと、昭和天皇が敗戦後どんなお気持ちだったかをはかり知る手がかりになる。 以前、このコラム戦後60年くすぶる火種、 『昭和天皇は退位された方がよかったか』の記事の中で、 「やはり、けじめとして終戦時に「天皇は退位」された方がよかったのではなかったか」と書いたのは、 今回、このメモを読んでみて全面的に訂正しなくてはならないことがわかった。 そのメモから察すると、戦後、国民が知らない国政の舞台裏では、 戦争をおこし、400万の国民をむごたらしい死に追いやり、国家に計り知れない損失をもたらした 戦争犯罪人、既に消え去ったはずの亡霊が厳然と日本の政治の黒子となり息を吹き返していた。 そのメモを手がかりにもう少し掘り下げてみると、昭和天皇が「退位」を戦後何回か口にされていたことがわかる。 敗戦直後、「戦争責任者を連合国に引き渡すのは真に苦痛にしてしのび難きことになるが、自分がひとり引き受けて 退位でもして納められないか」と側近の木戸幸一に漏らしていた。 昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効後「日本が新しい独立国になったのだから自分は退位しよう」と意志を固めておられたが 吉田首相やその他の天皇をまだまだ利用しようと考えていた側近の猛反対にあって退位できなかった、というのが真実だった。 今回の富田メモの端々から読み取れる昭和天皇のご心中は、旧厚生省(援護局)内に生き残った旧軍人グループ、 戦前に皇国史観で名をはせた東京帝国大学の平泉澄の門下の弟子たちによる裏工作を懸念していた。 「戦争犯罪人の靖国合祀」を主張した旧軍人グループと厚生省の執拗な圧力に屈した 靖国宮司の情けなさをお感じになっていた。 戦後、GHQの民主化改革によってこの国に新しい平和な世の中が来ると考えていたのに、 いまだに戦前の戦争責任者の残党が 政治の中枢に入り込んできていることを「平和を乱す」輩として憂えていたことも読み取れる。 <ご参考のために、この項末に、極東裁判での戦争責任者のリストを掲げたが、その中に如何に多くの 政客、政治屋が戦後政治を支配していたか改めて感じで欲しい。> 昨今、戦犯合祀、靖国問題、富田メモを境にして過去の極東裁判の是非が軍人遺族、マスコミ、国民の間で再び議論されている。 「あの裁判で有罪とされたA級戦犯は、連合国から見ると犯罪人だが、我が国では犯罪人ではない」 という意見がかなりの賛同を受けながら国民の中からではじめた。 ある外交評論家(元外交官)は「A級戦犯には、戦争責任はない。誰も戦争責任をとる必要もない」と堂々と言い切っている。 靖国合祀に関して「A級戦犯は絞首刑になって罪を償っているのだからそれで責任を果たした」と著名な女流作家は合祀は当然と豪語する。 過去の戦争の最高責任者(陸軍大臣)の孫が、「靖国分祀は絶対に反対だ」と声高にマスコミを通して言う。 戦後教育を受けた我々にとっては、この人たちの言動は異質なトーン(負け犬の遠吠え)として聞こえるが、連中からすると A級戦犯だけに責任を追及、転嫁するのはおかしいのではないかと言うことらしい。太平洋戦争開戦のとき国民も熱狂的に支持し、 民意を得ていたはずだし、マスコミもその騒ぎを先導していたではないか。 戦争が終わると、手のひらを返したように、それは一部の軍部の独走だなどと責任逃れを言ってGHQに媚びるのはおかしい。 確かにそうかもしれない。国民が反対していたら、いくら軍部の独裁とは言えどあそこまで戦線拡大できなかったはずである。 歴史に「もし」は禁物だが、もし、あの戦争で日本が勝っていたらどうだろう。 国民は、戦争指導者(A級戦犯)に感謝していたであろうし、今ごろ英雄として奉っていたであろう。 だが、中国人や韓国人と同じ起源、漢民族である日本人には宿命的な弱点がある。 それは、すこぶる臆病な国民性で 「長いものには巻かれろ」式なところがあるということだ。 即ち、力で押さえ込めば「道理引っ込む」脆弱(ぜいじゃく)ひ弱な一般国民性だということをわきまえなくてはならない。 この弱点をうまく利用したのが、徳川家康であり、明治政府であり、昭和の軍部であった。 このことを頭に入れて太平洋戦争開戦前夜の状況を考えてみよう。 その頃、国は、戦争では消耗品として扱われる兵の増産計画を立てていた。 国に従順で、自己の命を捨ててでも国を守る二足歩行の人間ロボットの量産を目標にした。 実際のロボットの製作は、当時の技術では難しいが国民に「産めよ増やせよ」のキャンペーンで尻を叩けば、いくらだって増やせる。 国民は、国策に従って次々に子供を生んでくれた。その頃、十人家族など普通になった。人間ロボットの量産は、ほぼ成功した。 次に、文部省は幼児の思想教育に力を入れていた。国民学校では、何も判らない純心な児童に徹底的に愛国忠誠心を植え付けて洗脳した。 教育勅語を毎日声を出して読まされ暗誦させられた。 天皇を現人神として神格化して、為政者、軍部の命令をあたかも天皇のお言葉のように挿げ替えて国民に無理強いした。 言論の自由を抑え込んで、反対するものは徹底的に排除され、命の危険に曝らされた。 西欧からの情報を極度に制限して、国民に正確な情報が伝わることを阻止していた。 その環境下で育った子供や少年は、大きくなったら御国のために兵隊さんになって、鉄砲かついで戦地に赴くのが誇りと感じたであろうし、 戦闘機乗りになって、敵の軍艦に体当たりするのが名誉と思うになった。 勿論、大人も大日本帝国というカルトの中で洗脳されてしまっていた。政府の政策に反対するものは国賊とされた。 いまの、北朝鮮の体制に、この日本軍国主義のレプリカと見ることができる。 それを語らずに、国民やマスコミもあれだけ熱烈に戦争参戦を支持していたではないかと後世の学者が言い逃れするのは、なんとも情けない。 国民の生命と財産をまもる立場にある当時の国の指導者が、天皇を担ぎ出して、天皇の命令と偽って国民をミスリードした責任があるし、 軍閥の狭い組織の中で自己保身や互いに功名を争って何十万もの兵の生命を無駄に浪費した責任もある。 それだけではない、この大戦でアジアの近隣諸国にも多大な被害を与えた。これらのことは、 某女流作家が言うように「A級戦犯は絞首刑になって罪を償っているのだからそれで責任を果たした」で済むのだろうか。 あとに残された我々が、嫌がうえでもこの重い罪の償いをしなくてはならない。これらのことを真剣に考慮すれば戦争責任がないとはとてもいえない。 恐れるのは、このネオ・ナチならぬネオ・ミリタリズムが、今、戦争を知らない若者を巻き込んで徐々に勢力を伸ばしていることだ。 靖国合祀に反対した加藤紘一氏の実家焼き討ち事件は、そのはしりでなければよいが。 対露、対中、対北朝鮮、対韓国、国連常任理事会加入など外交政策で失敗ばかり続けてきた今の日本外交の現状を見つめているとそんな気持ちになる 若者が出ることは否めない。 さらに将来を暗くすることは、イラク派兵や靖国参拝の世論調査の数字の推移を時を追って見ると、 反対と賛成がいつのまにか逆転する。 自分の考えが定まらない、ただ環境に淡々と順応していく国民総追従現象を眺めていると、この世紀も、昭和の世紀が歩んできた同じ道を 歩むような懸念が拭い去れない。 (JCNCC 2006/8/28) (*註) A級戦犯(えいきゅうせんぱん) A級戦犯とは、第二次世界大戦の戦勝国が主導した極東国際軍事裁判において 「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人。 A級のAとは、犯罪のカテゴリーを示す。侵略戦争は一番重い戦争犯罪とされ重刑が適応された。 【絞首刑】(死刑) 東條英機 - 軍人、第40代内閣総理大臣 板垣征四郎 - 軍人、陸相(近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長 木村兵太郎 - 軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣) 土肥原賢二 - 軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官 武藤章 - 軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン) 松井石根 - 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時) 広田弘毅 - 文人、第32代内閣総理大臣 【終身刑】 荒木貞夫 梅津美治郎 大島浩 岡敬純 賀屋興宣 木戸幸一 小磯国昭 佐藤賢了 嶋田繁太郎 白鳥敏夫 鈴木貞一 南次郎 橋本欣五郎 畑俊六 平沼騏一郎 星野直樹 【有期禁錮】 重光葵 (7年) 東郷茂徳 (20年) 【A級戦犯被指定者】 岸信介(釈放) のちに、総理大臣。 笹川良一(釈放) 正力松太郎(釈放)後に読売新聞社主。 児玉誉士夫(釈放) 青木一男(釈放) 安倍源基(釈放) 天羽英二(釈放) 安藤紀三郎(釈放) 石原広一郎(釈放) 岩村通世(釈放) 葛生能世(釈放) 小泉親彦(自殺) 後藤文夫(釈放) 近衛文麿(自殺) 須磨弥吉郎(釈放) 高橋三吉(釈放) 多田駿(釈放) 谷正之(釈放) 寺島健(釈放) 徳富蘇峰(自宅拘禁解除) 梨本宮守正王(釈放) 西尾寿造(釈放) 橋田邦彦(自殺) 本庄繁(自殺) 本多熊太郎(釈放) 真崎甚三郎(釈放)
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| コラム 消費者とマインドコントロール 米国産牛肉の輸入再開 十数年前、英国で中枢神経系の神経細胞に異常を起こすクロイツフェルト・ヤコブ病(牛海綿状脳症)の若い患者が出た。 高齢者に多いこの病気が若い人の間で発症していることに疑問を持った専門家や医療機関が調査を開始した。 調べているうちに、その患者は狂牛病になった牛の肉を食べて この病気になってのではないかとの疑いが浮上してくる。 当初、その原因物質である「プリオンたんぱく」は羊のスクレイピー病では、確認されていたがこのプリオンタンパクが口から入って 人間に感染することは誰も信じていなかった。 この原因不明な感染症に、恐怖感を抱いたフランスをはじめとする欧州の国々はその原因がわかるまで英国からの牛肉の輸入をいっせいに禁止した。 一般の感染症の病原体とちがってプリオンは生き物ではないから他の動物のタンパクが人間の身体に入ってそのままタンパクとして 機能することは考えられない。従来、食物中のタンパク質は人の体内で全て一度アミノ酸に分解されて再合成されると考えられていた。 それゆえに、この感染説は大きな謎であった。 だが、1982年にスタンリー・B・プルシナーがこのなぞを解く。 彼によると、この現象は人間の脳・脊髄を中心に分布する蛋白質の一種である正常プリオン蛋白 のペプチド鎖の折りたたみ構造が「異常プリオン」によって変ってしまうためと判った。 この原因の解明によって彼は1997年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。 この謎の感染症が解明されてから、しばらくして欧州各国は輸入を再開した。 昨今の我が国の米国産牛肉の輸入再開に対する騒ぎは、一昔前英国で起きた狂牛病騒動状態に近い。 欧州では沈静化した騒動も日本の消費者の間では、その原因がわかったのにもかかわらず、狂牛病にたいする恐怖心は増した。 この原因は、二つ考えられる。
一方、農協票を失いたくない自民党と米作農家に畜産奨励金を出して転換をすすめてきた 農水省がBSE(狂牛病)の恐ろしさを必要以上に誇張して、 「食の安全」を御旗に輸入米国肉の危険性を過剰にPRした。これにマスコミも同調して消費者のマインドコントロールに成功した。 プリオンとは何かも知らない消費者は、米国の牛の肉を食べると感染症にかかって死ぬかもしれない、 あるいはアルツハイマー病(海綿状脳症)になるかもしれない 恐怖心に脅かされる。暗示に乗せられた消費者は、輸入再開しても買い控えが起きる。 一部、スパーマーケットや量販店、精肉店、レストランなどでは輸入再開後も取り扱わないとの声明をだした。 畜産農家や農水省や農協関係者は、風説の流布が十分活用できたとほくそえんだことだろう。 だが、この問題は戦前と違って今回はそう簡単には行かない。多分、消費者のマインドコントロールは長続きしないだろう。 その理由は、少し賢い消費者ならすぐ気がつくことだが、日本の2.5倍以上の人口を持つ米国民は毎日その日本で問題になっている 米国産の牛肉を食べている。米国では肉食が 中心であるから魚を食べる日本人と比べたら、約5倍以上の牛肉を食べる。 その中で、クロイツフェルト・ヤコブ病にかかる消費者はどのくらい居るだろうか。正式には発表されていないが、潜在的な患者を加えても年100人以下だろう。 一方、米国製の輸入タバコはどうだろう。米国ではタバコが原因の癌などの死者は年50万人を越えている。 ということは、この米国産牛肉の輸入再開騒ぎはどこかおかしくないかと感づいた人はいるに違いない。 米国の消費者はBSEに無関心なのだろうか。遺伝子組み替え食品などで消費者運動のはげしい米国民がBSEに関心がないはずがない。 その理由は、この発症率の違いを認識しているためだろう。 タバコはのまなければ安全だ。米国産の牛肉だって食べなければいい。 患者に隠して、汚染された輸入血液製剤を投与されていたエイズやHIV患者の場合とは全く違う。 日本人が、米国産の牛肉を食べなくては生きていけないこともない。 選択の自由はわれわれにある。 米国で日本に輸出する前に全頭検査をすればいいのだが、その手間と労賃で輸入単価は今の10倍は跳ね上がるという。 それでも安全の方がいいと考える人は、全頭検査済みの高価な国産牛肉を食べれば良いではないか。 この問題点は、輸入を全面反対することではなく、 政府、監督機関が安い米国産肉を国内産の加工肉製品(ハンバーガーなど)に混ぜ込んで悪質業者が儲けることを監視することだ。 この監視が十分でなければ、輸入再開はしない方が良い。打開策は簡単、それは国内問題である。消費者が政府、監督機関を信用していないことが 大騒ぎの根っこにある。薬害問題のときもそうだったが、一部の利害関係者の思惑でだまされ続けてきた国民の過剰反応かもしれない。 DNA検査などを駆使して混入監視を厳格に摘発して、悪質な業者には莫大な課徴金をかけるようなシステムをつくることの方がもっと重要である。 (JCNCC 2006/8/20)
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| コラム 人を呑み込んだ吸引排水口 ふじみ野市民プール事故は管理ミスだけか じりじり焼け付く灼熱、国中が沸騰しそうな夏の日、悲劇はおきた。この熱気からのがれようと飛び込んだプールは、 魔の口をあけて待っていた。その口に吸い込まれて暗い狭い管の中を猛スピードで地獄に流しこまれ、そこで、排水ポンプの牙で噛み砕かれた。 こんな信じられないようなホラー事件が首都圏の市民の憩いの場で起きた。 勿論、吸い込まれた女の子はそこで絶命した。 埼玉県ふじみ野市大井武蔵野の市民プールで最近起きた出来事である。 このプールは、SF(空想科学小説)に出てくる無差別吸引殺人マシーンのような恐ろしい構造になっていた。 新聞報道などでは、この事故の原因として人為的な問題を盛んにとりあげた。 プールの吸水口の入り口には、格子状の網が張ってあったが、その半分がはずれた。担当者が修理に走る短時間に事件が起きた。 網がはずれたときに、プール管理者は利用者に吸水口に近づかないように口頭でお客に注意をしたが、 その魔の吸水口に近づく遊泳客を制止しようとはしなかった。 市営プールではあるが運営は民間の管理会社に任していた。だが、その管理会社はその仕事をさらに小さい子会社に 丸投げしていた。 他人の生命を守るライフセーバー(監視員)は皆、高校生のアルバイトだった。ライフセーバーの資格を持った監視員はいなかった。 監督する市の職員もその日はいなかった。 当事者の怠慢、杜撰、違法、どこにまともな運営があったのかわからないほど、人為的ミスが次から次へと露呈されたが、 疑問や疑惑まだまだある。 網がはずれている間、プール利用者に吸水口に近づかないように注意を促したのなら、修理が完了するまで その場に監視員を配置して、吸水口の入り口に近づいてきた人を遠ざける行動をとらなかったのはどうしてだろう。 これより少し前、関西の市民プールで事故が発生していた。幸い致命事故にはならなかったが、 管理責任者は被害者にこう言った。 「事故は当事者(被害者)の自己責任だ、管理側には責任がない」と、木で鼻をくくったような言葉で終始対応していた。 そこでも監視員は下請けのアルバイトだった。詳しい管理マニュアルらしいものもなかった。 現在、全国公営プールの半数以上の管理体制は、 この人身事故を起こした市民プールとおなじ状況と考えられる。ただ、人身事故に発展しないまでのことだ。 管理者の管理責任の自覚は非常に希薄である。 「事故は当事者の自己責任」という責任逃れと見える勝手な便法があるため事故として表に出てこない。 今回はたまたま人身事故が起きた。 プールの吸水口の事故は、調べてみると毎年のように起きていたが、過去の事故が今回も生かされない。 その理由は、毎回事故の原因は、管理体制の不備と人為的な不注意と片付けられている。それ以外の要因は言及されない。 それ故、この世界ではおなじ悲劇が永遠に繰り返されている。 人身事故がおきると、専門家の肩書きを持った先生方がTV、マスコミに出てきてコメントをする。 その矛先は、必ずといって良いほど管理会社、当局の責任を指摘、非難する。 弱点を見つけると、とことん攻撃して相手を痛みつけて喜ぶサディスティックな性質がこの人たちにも視聴者にもある。 いつものように管理者、当事者の責任を非難して世論が沸騰する。 追いつめられた当事者は、地味なダークの背広、ネクタイでTVカメラの前に一列に並んで、 直角に近い角度まで上体を折り曲げて謝罪する。 その儀式が済んで七十五日たつと、いつのまにか事件のことは忘れられていく。 ここでは人為的な原因以外の追求はそれほど熱心ではない。調査は警察任せか、事故調査委員会を設置して専門家を称する先生方に 任せる。専門家といっても素人集団に近い彼らは、能力不足からおざなりの事故報告書が出して幕引きとなる。 (消化プロセスの完了) 今回、ふじみ野市の市民プール死亡事件では当事者の管理、人為ミスばかりが追求された。 日頃、責任逃ればかり繰り返している官僚的当事者に対する市民の逆襲要素も多分にあった。 いままで、幸か不幸か日本人一人一人の「優秀さ」から、高水準の均一な能力、経験、 知恵が多くの事故を未然に防いできた。事故に会うのは不運か、被害者の自己注意力の欠如とされてきた。 また、管理者は末端従業員、個人個人の職務責任を重くすることで、多くの惨事を防いできた。 今日の従業員の質の変化に気がつかず、この旧い管理思想が災いとなっている。 これとおなじ条件(たとえばアルバイトの監視員、針金で止めた吸水口等々)のプールが、 欧米にあったとしたら間違えなく事故になる。遊泳者も管理、監視者ひとりひとりの判断能力にはばらつきがあるためだ。 そこで、欧米では分厚い職務マニュアルがつくられ、常時つかわれる。そこには、小学生レベルの能力の人でも判りやすく、あらゆる 場合を想定して細かい手順をイラストをふんだんに使って説明されている。 このマニュアルに加えて、如何に無能な素人管理者、監視員だとしても彼らのミスで惨事にならないようなシステムを考える。 今回の流水式遊泳施設の場合は、遊泳中のプールの水循環系システムはフェイルセーフ(網格子がはずれても安全)を採用するだろう。 間違っても、人間を呑み込む太さのパイプは人が近づくところには使わない。 先進国のマニュアルをどこかで見たことのある人はその詳しさ、丁寧さ、正確さに驚いたことと思うが、このマニュアルは、 プールに限らずどの職場でも海外では欠かせないバイブルみたいな貴重な存在だ。 欧米技術が導入されている分野、たとえば遊園地のジェットコースターやメリーゴーランド、 絶叫マシーン、TDL(東京ディズニーランド) や USJ(大阪ユニバーサルスタジオ) のマニュアルをみるとそれがわかる。 たとえば、「・・・○○規格に合った○○インチ X ○○インチのステンレス製ボルトをつかえ。右に5回と4分の3回転まわせ、・・・」など至れりつくせりの説明、記述がある。 ここまで書かなくても常識で判ることまで 詳しく書いてある。個人、従業員の常識や能力が違う欧米社会ではこんなつまらないことでもマニュアルに書かなくてはならない。 また、それには責任体制が明確に決められていて、事故がおきたときは「誰だれに連絡せよ。不在のときは誰、その次は誰、・・・」 と3,4人の責任者の 名前が書かれている。 責任者が休暇や事情があって職場を離れるときには、必ず、その都度自分の仕事を代行する人を任命して 職場を離れないといけない。 これらの欧米先進国の職場のマニュアルシステムは、日本人には面倒くさい。忙しくてそんなものを書く暇がないし、だいいち金がかかる。 読むほうも敬遠するだろう。結果、事故が起きれば当事者、被害者の不注意、自己責任にされてしまう。 それでいいのか、こと人命にかかわっている職場では、このような事故の時、管理監督者、監視員の行動詳細が示された マニュアルが必要なことをいつも痛感する。事故が発生したとき、 担当者個人の能力で判断、処理するのは、限界があり、危険がある。 最近の事件、例えば、回転ドア圧死事件、エレベータ胴体切断事件、 ガス湯沸し一酸化炭素中毒死事件、などはそのいい例だ。 埼玉県ふじみ野市の市民プールの監視員は、誰もマニュアルを読んでいなかった、いや、事故を想定した対処マニュアルがなかった。 (管理マニュアルらしいものが見つかったが詳細な記述はなかった)。だから、事故がおきたとき 対応する処置法を知らなかった。結果、人の命を失うのは当然といえば当然である。 もし、管理者や監視員の中に経験があるものがいたら、今回の場合、真っ先に吸水口の前に監視員を立たせ人盾をつくり、 すぐに吸水ポンプの電源を切ったであろう。しかし、ここまで、高校生のアルバイトに期待するのは無理だ。 日本の管理者が従業員個人の能力、経験に頼っていた時代は、過去の終身雇用制ものと認識することが必要だろう。 終身雇用制が崩れ、経済性だけを重視する雇用形態(パートやアルバイト)に移行しつつある日本では欧米のようなマニュアルが必ず要る。 多分、今回の事故は網がはずれた時点で、プール管理者が利用者に吸水口に近づかないように監視し、 注意を徹底しなかったことが原因だ、という人為ミスと結論をだして プールの責任者の監督責任と現場監視員の数人が書類送検されて幕引きされるだろう。 だが、熟練従業員の個々の能力や経験に頼っていた管理法は過去のものになった。 将来、二度とおなじ事故がおきないように、人為的要素だけでなく多面的に事故を検証する調査報告は 今回も残念ながら期待できないだろう。 管理監督者の人災として片付けている間は、その事故に隠れたそれ以外の潜在的な要因を見落としてしまう。 原因を徹底的に調べなくては悲劇は繰り返される。 例えば、今回の事故はプールの吸水口の構造に欠陥がなかっただろうか。 それを指摘する専門家や評論家は 残念ながら今回ひとりも居なかった。彼らは狭い視野から、この事故を眺めて管理責任など人為的なことばかりに終始していた。 吸水口の口径は30X40cmくらいの楕円形だったが、これでは、子供どころか大人でもすっぽり吸い込まれる。 その恐怖は、巨大な真空掃除機の吸引ノズルを思い浮かべればよい。 人が泳ぐプールで、人を飲み込めるほどの巨大な吸水口の存在は、如何に入り口に網を張ってあったとしても恐ろしい。 プールの設計者に知恵があったら、吸水口の形を狭く横に細長くして人が吸い込まれない大きさにすべきであった。 あるいは、一つひとつの吸水口の穴を小さくして、複数にする方法もある。おなじ流量を得たいなら、各吸水口の後ろでその排水を一つにまとめれば良い。 排出するものは、固形物ではない。どんな狭いところでも通り抜ける液体である。 人間や固形物は通さない液体だけが通る狭い形にするのは簡単ではないか。 そう考えれば、口径30cmの楕円形の面積と、全体を組み合せて同じになる面積の小さいマルチ吸水口システムでも おなじ役目をすることは素人でもわかる。なぜ、マルチ排水口システムにしなかったのか。人身事故は念頭になかったのか。 あるいは、ある高さより水面が上がるとあふれ出す水をプール全体で集めて吸水口に送るオーバーフロー方式だってある。 この方式は欧米では古くから採用されてきたが、近年、国内の競泳プールでもこの方式が採用されだした。 これらは、遊泳中にも安全な流水循環方式の、ほんの二,三の例に過ぎないが、知恵をしぼればもっと安全なプールができる。 建設コストが少々上がるが、人身事故がおきたあとの賠償責任まで考えると決して高くない。 それよりも、心理的に巨大な真空掃除機のような、人をまるまる吸引するノズルが水中にあるプールでは 如何に入り口に網を張ってあったとしても恐ろしい。 それが気になって、だれも安心して泳ぐ気がしないだろう。構造上の問題点も指摘して改造を促す事故報告書が でることを期待したい。 事故が起こるたびに人為的な面だけを追及する専門家や世論が、当事者たたきに終始する。その圧力に 屈して深々と頭をさげ非難の嵐を通りすごす当事者、おざなりの事故調査、この繰り返しではいつになっても悲劇はなくならない。 事故調査は、当事者の責任論に終始する後ろ向きの議論だけでなく、いつの場合でも、 ハードウエアまで含めたもっと広範囲の原因究明と将来おなじ悲劇がおこらないような 総合的な冗長系システム、フェイルセーフ(失敗しても安全)をどうやって導入するかを考慮して 当事者に進言する社会に変らなくては、 過ちは永遠に続くだろう。 欧米では、事故の調査の重点は、当事者の責任追及以上に将来おなじ事故が起きないよう、原因調査に 時間や人材を費やして徹底してやることは前にこのコラム「JRの事故は首都圏でも起るか」 で触れたとおりである。被害者の尊い命を無にすることがないように、人身事故はこれで終わりにして欲しい。 (JCNCC 2006/8/1)
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| コラム この流れを止めてはならぬ 小泉純一郎と小沢一郎 キリスト教のお祭り、「復活祭」と前後して意外な人が復活してきた。じつは、いつか復活してくるだろうとは思っていたから、案の定と言った方がいい。 この人の復活劇を眺めていると、フランケンシュタインが息を吹き返して立ち上がり歩き出す昔のハリウッド映画の一コマが目に浮かんだ。 この人にはそれくらいの人並みをこえたパワーを感じる。 小泉首相が昨年の選挙で地すべり的な大勝利をあげた一つの要因は、小泉首相の人並みではない強情(頑固)とも見えるパワーだった。 今までの歴代首相は、選挙前には勢いのいいことばかり打ち上げるが、いざ首相の椅子に腰掛けてしまうと急に腰砕けになった。 長い間、国民はだまされ、愛想がつき、政治家なんかそんなものだと国民自身、自分を納得させてきた。 小泉首相はそこら辺がどこか今までの政治家とは違っていたからあれだけの票が集まったと考えてもおかしくない。 その副作用が、靖国問題だろう。確かに国益から考えると彼の行動は一国の首相としての責任感が欠如している。 私個人の信念だからといっているが、国主として私・個人の自由の範囲が制限されていることを理解していない。 だが、彼が中国や韓国の外圧に負けて靖国参拝をやめるような性格の男だったら、今まで郵政民営化をはじめとする 諸々の改革はできなかったであろう。民営化反対勢力は中国や韓国よりも小うるさく執拗だった。あの旧橋本派の 抵抗を排除するのは、並大抵の男ではできない。 郵政民営化だけではない。自民党の最大派閥をぶっ壊し、それを支えてきた財閥、大企業の犯罪までメスを入れた。 長年、日本最大の経済団体、経団連や経済同友会は自民党を中心に政治献金を続け、「自民党の金庫」となっていた。 自民党は経団連から多額な政治献金を受けその資金は膨張し、2004年度の政治献金は、その会員企業の献金を含めると22億2000万円にものぼった。 これは、表献金だけでその数倍の裏献金(賄賂)が派閥幹部に密かに贈られていたと考えられる。 たとえば、リクルート事件(1993年)、ゼネコン汚職(1993年)、最近では日歯闇献金事件など、裾が綻んで表に出てきたものだけでもこれだけあるが、これらは氷山の一角と見ている。 上納金の見返りに自民党政府は、企業の経済犯罪を黙認するギャランティー(保証)を与える、やくざの世界とおなじシステムを確立した。 いままでの自民党政府は、公明正大であるべき我国家社会の司法、検察警察、国の監督機関まで足かせをはめた。 ところが、派閥政治をぶっ壊すといきり立って登場した小泉首相はその党の約束を無視してしまった。 自民党の企業献金を吸い上げてきた最大派閥をぶっ壊し、結果、 国の監督監査機関の足かせがはずれてしまった。 ギャランティー(保証)を約束されていた財閥、大企業の犯罪にこのとき初めて司直の手が伸びた。 三菱自動車のリコール隠し、三菱重工は複数の違法な談合組織の中核で重要な役割を果たしていた。 一件、また一件司直の手が伸びていく。 明治生命保険金不払いや、不正行為を働いた三井住友銀行は業務停止命令がでた。 数百億円の脱税容疑で三菱商事があげられた。 何十年も続いてきた、日本の代表的企業が先頭に立って業界を仕切ってきた談合体質にメスが入り、巨額な 脱税企業にやっと手が付けられた。 お気づきかもしれないがこれらの企業は、日本の老舗企業のその中の老舗、三大財閥企業である。 こんな現象は、小泉内閣以前には考えられないことだった。実際は公正取引委員会や金融庁が本来の使命に忠実に動き出しただけなのだ。 これらの反社会的、不正企業が次々に挙げられるのは時代の流れと見る向きもあるが、それだけではない。政界を自民党の経世会が影響力をもって仕切っていた頃はこんなことは起きなかった。 なぜ、老舗の大企業ばかりと疑問を持つ人もいる。このことは、前にこのコラム (財閥企業の犯罪) でも述べたが今まで聖域とされていたところが聖域でなくなったためだ。急に聖域からはずされた企業が軒並みに御用となった。 こんな話がある。鋼鉄製橋梁の談合事件で国土交通省は、談合参加企業の社長さんを国土交通省に呼び出した。ほとんどの企業は、社長さんが 出向いてきたのだが、三菱重工だけは副社長をさしむけた。国土交通省の担当官はカンカンに怒って再度、三菱重工の社長を呼び出す幕があった。 国土交通省の担当官のやり方も行き過ぎと思えるが、それよりもこの社長さん急に聖域をはずした自民党政府のやり方に憤っていたのではないだろうか。 やくざの仁義にも劣ると。 この社長さんだけではない。いままで、聖域のもとで違法行為と知りながらぬくぬくと利益をあげてきた大企業、財閥企業は今戦々恐々としている。 経団連や経済同友会の会長がマスコミやTVの中で高徳めいたことを述べている。だが、彼らが経世会をサポートしていた張本人であるばかりか、 国民を欺く反社会的な違法行為で成り立っている利益第一主義の企業集団の代表でもあったことがわかったいま、見せ掛けの倫理観を並べたところで国民は納得しない。 それとも、この会長さんは違法企業集団の頭だったという自覚がないのだろうか。見る方からするとアラビアナイトに出てくる盗賊集団の頭、アリババの顔に見えて仕方がない。 最近、政財界の長老からこの息苦しい世界をもとの小泉首相以前の世界に戻して欲しそうな意見が出始めた。 中曽根元首相の「ポスト小泉には、小泉路線を継承しない人がいい」などは本音かも知れない。 やはり違法行為で商売を続けていくには、違法を取り締まる役所を封じ込めることができる首相が欲しい。 それ故に、ポスト小泉政権は小泉路線を大幅に修正してもとに戻る危険性が大きい。 国民のひとりとして、日本が近代国家として他の欧米先進諸国と肩を並べていくにはもう一人の 小泉純一郎を待望したい。 だが、いま政界を見回しても小泉純一郎ほどの頑固者は見当たらない。 いや、いる、一人だけいる。 そう、先に触れた、フランケンシュタイン、民主党の小沢一郎がいる。 彼の頑固さは、小泉首相に負けないだろう。 小泉と小沢、政策は多くの点で違う。だが、共通しているところは頑固者、信念を持って行動するところが似ている。 それと、このご両人根っからの党人だ。官僚出身の政治家に共通した賢い処世術を 持ち合わせていないところがいい。小細工や妥協が上手ではない。 この点だけでも、ポスト小泉の政界では、国民の間で 小沢一郎の存在感がますます浮上してくるであろうし小沢首相待望論が出始めるだろう。 と言うことは、将来、小沢内閣が実現する確率は高い。但し、そのときは民主党の小沢ではないかもしれない。 こう書くと、それは間違うと英雄崇拝となり、独裁者待望論ではないかと批判が出る。 確かのその通りだが、そう批判する人の頭の中は前世紀半ばまでの社会環境があるからだ。 英雄も独裁者もその弊害が出るのは 長期に権力の座にとどまった時であることは、歴史は知っている。 そうならないよう法律で米国大統領のように最長任期を あらかじめ設定しておくことも同時に忘れてはならない。日本にはその法律がまだない。 懸念することが一つある。それは財界に精通している小沢が政権をとったら、 今の小泉よりは財界寄りに スタンスをかえて、公正取引委員会や金融庁の出鼻を押さえ込む可能性はある。 もしそうなれば、元の木阿弥、小沢の輝きは一瞬にして消えてしまうことは本人は十分心得ているはずだ。 (JCNCC 2006/5/1)
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| コラム 「GEISHA」と「恥の文化」 国連人権理事会に立候補 英国国営放送BBCによると、今まで女性の地位向上を目指して活躍してきた国連人権委員会が、 今年3月15日の総会で組織の解消がきまって、新たな組織、国連人権理事会 を設けることになった。 その原因は、これまでに人権委員会の構成国を巡ってその国の適格性に疑問がしばしば呈されたことである。自国において深刻な人権侵害が存在すると疑われている国が委員会の構成国となっていたからだ。 今まで日本を含め53カ国からなる委員会から、人権侵害を容認している国を除外して、新しい組織は理事国を47カ国に減らした。 その新設国連人権理事会のメンバー国選挙が5月9日に行われる。 ところが、そのメンバー国の選挙に日本が再び立候補している。適格性はあるのだろうか。 日本には人権問題で前科がある。 すこし前発表された米国務省の年次報告で、日本の人身売買のことが書かれていた。 米国務省が報告書を出すまで日本の政府、役所、マスコミが隠し続けてきた恥部である。 それまでも、日本が、タイ、パキスタン、インド、フィリピンの東アジア国々と同じくらい子女の売買が行われていることは海外では知られいる。 東南アジアの国からつれてこられた幼い女子供たちを(風俗)店から店に全国に転売されていた。 この人身売買は、暴力団(ヤクザ)が中心になっていた。日本の政府が隠し続けていた理由は、やくざ組織の資金源にメスを入れるのは、売買される被害者には可哀想なことはわかっていても得にならないからだった。 また、待合政治、料亭政治の裏側では金銭で、子女を商品のように売買する花柳界がある。 一昔前に、ある自民党の首相に大金で売られたと、もと神楽坂の芸者の告発があった。 外国メディア、ワシントンポストは「セックススキャンダル、日本の首相を直撃」と大きく掲載した。 だが、この首相の事件は、氷山の一角で政治家、高級官僚の多くは同じことをしていると言っても過言ではない。 最近、欧米で放映されている「GEISHA」と言う題名の映画は、そんな日本の陰の世界に関心が集まって観客を増やした。 日本には人身売買を禁止する法律がない。このことを、このコラム(日本の人身売買)で少し前に取り上げたとき、読者からの反響も大きかった。 その後、政府は国外で行われている外国(アジア)人の人身売買を禁止する法を制定して、昨年やっと米国の要監視国のリストからはずされたが 国内に残る習慣は依然として水面下で生き長らえている。 「GEISHA」の国日本は、反面「恥の文化」を持つ日本としても世界に知られている。 子女の売買という恥部をひきずって国連人権理事国になり、理事会の場で恥を曝すことにならなけらばいいが。もし、政府高官に「恥の意識」が わずかでも残っているのであればここは立候補を見送るべきであろう。 それよりも国内の人権理事会の設立が先ではないだろうか。 (JCNCC 2006/4/10)
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| コラム たった一つのシーちゃんの金メダル トリノオリンピック トリノ冬季オリンピックが終わった。 あれだけ大騒ぎした前評判の高かった選手団を送り込んだ割には、メダルがひとつ。 まさに大山鳴動してねずみ一匹という結果になった。はじめは、ねずみも出てこないかと思ったが、最後のシーちゃん、荒川静香の金メダルで何とか日本選手団は救われたような気がする。 やっと、スケート会場に待ちに待った日の丸があがった。それも一番高いところに。シーちゃんおめでとう! 荒川静香の首にかかった金メダルが会場の照明に反射してきらきら輝いていたけれども、それよりもシーちゃんの笑顔がひときわきらめいてみえた。 フリースタイルの最後の演技では、日本人離れがした大柄な、でも精細で優雅な舞を、観客だけでなく審査員も見逃さなかった。 高得点が出た時の、シーちゃんの喜び方も今までのシャイな日本人とは違った反応だったし、 自分の感情を120%表現したガッツポーズもいい。シーちゃんの体がひときは大きくみえた。 荒川静香の得点が、ショートプログラムで1位、2位にいたライバル、コーエン、スルツカヤを動揺させた。 このままでは負ける、と動揺が胸のうちに走ったのは間違いない。 シーちゃんの演技を見て、ガッツポーズを見て、氷上に立った両者の表情は、相当な緊張感が漂っていた。 それでもコーエンは、アメリカ人の楽天的な性質から氷上ではいつもの動きに戻ってはいたが、スルツカヤの方はどうしてもオリンピックの大舞台でチャンピオンになりたい執念の 重圧におされていつもの動きにもどれなかった。 彼女にとっても、これが最後の大舞台になることはわかっていたし、金メタルがどうしても欲しかった。 速さや時間を争う競技とは違って、アイスダンスは優雅、流麗、気品、体の動き一つ一つが採点となる。 過度な緊張が、演技に正直にでた。 彼女たちは、荒川静香がフリースタイルの最後の演技で一番難しいスパイラルをとばしたことを知らなかった。 そして、両選手とも難しい難度の高いスパイラルに挑戦して失敗した。 アイスダンスは、アメリカ人にもロシア人にも一番人気のある国民的な種目の一つで、 その結果は、常にチャンピオンの座を占めてきたアメリカにしてもロシヤにしてもショックだった。 ところで、荒川静香の勝因はなんだろうか。 もちろん、5歳でスケートを始めた天才ともいえる技術(わざ)ではあるが、それだけではオリンピックでは勝てない。 ひとつには、いつも欠かさないシーちゃんスマイルだ。これは、見る側に非常に良い印象を与えた。 欧米の社会で、スマイルを欠かしてはいけない。学校でこのソウシャル・スマイルを教えるくらい重要だ。 荒川静香は、とくに トリノオリンピックに向けスマイル・笑顔を研究していた。 このスマイルが、あったから演技後の観客席からスタンディングオベーションが生まれた。 観客の反応も審査員にとっては重要だ。日本のほかの選手には、このスマイルがなかった。 北米のTVスポーツ解説者は、荒川静香の勝因をその美しいコリオグラフィーだと断言する。 日本人離れをした大柄な身体を、しなやかに流れるように仰け反らせて舞うその優美さはまさに金に値するとも言っている。 また、別のTV解説者は、荒川静香はフィギアスケートをクラシックの時代に戻してしまったが、そのクラシックの華麗さは現代にも通用する 輝きをみせた。 これは、他のスケーターが速いアップテンポのビート系の曲を採用しているのに、荒川静香は、荘厳なプッチーニーの歌劇ツーランドットのゆったりした ビオロン・ファンタジーを選んだことを評したものだ。 荒川静香のコリオグラファー(振付師)は、コーチのタチアナ・タラソワとニコライ・モロゾフ(2005年暮から)いずれもロシア人だった。 スポーツ解説者が絶賛する荒川静香のコリオグラフィーは、これらロシア人のコーチ依るロシアバレー(ボリショイバレー)の影響が大きい。 一昔前に、ロシア(旧ソ連)の「コマネチ」の体操演技がオリンピックの舞台で、観客から感動的な喝采を浴びたときのことを思い出す。 荒川静香がオリンピックの大舞台でチャンピオンになれた最大の要因は何か。 スマイル、コリオグラフィーと、もうひとつある。 それは、前にこのコラム「実力があるものにメダル」で同じようなことを書いたので読み直して欲しい。 日本の場合、著名になったり、名誉ある位置に着くと取り巻きやマスコミがチヤホヤし始める。 そこで、当人は自分の実力をそれ以上のものと勘違いして、日本という国のお山の大将になって油断してしまう。日本のお山より 外にはもっと高いお山があることを忘れて、その心地よい環境に溺れ、自滅してしまうのだ。 その良い例が、今回のスノーボード陣、日の丸飛行隊とマスコミに騒がれてすっかりその気になっていたら、予選落ちが続出した。過去に、こんな例は数多くある。 荒川静香の場合は、そんな過去の栄誉どころか、今回日本代表選手に選ばれるかどうかもわからないほど緊張と不安がつきまとった。 2002年、ソルトレークシティオリンピック代表をかけた四大陸選手権では村主章枝に敗れソルトレイクオリンピックには出場できなかった。 2005年の中国杯・フランス杯ともに3位で、グランプリファイナルの出場を逃した。トリノオリンピックへ内定するかどうかもわからなかった。 引退を考えたこともあった。 昨年12月末の全日本選手権で3位にはいり、トリノオリンピック代表選手に選ばれた、と言うような緊張の連続がかえって自分の実力を磨き、対抗意識が 演技を確実にする術を絶え間なく磨いたことが今回の金メタルにつながったと見る。 オリンピックの女子フィギアスケートで女王になった荒川静香は、24歳、オリンピック史上最年長。年々低年齢化していた女子フィギアスケート界に待ったをかけた。 ティーンエージャーのスケータでも荒川静香の技術はこなせるかも知れない。だが、あの優美で華麗なロシアバレーから跳びだしてきたような、荒川静香のコリオグラフィーは 誰も真似ができないだろう。いつまでも、プロになってもあの氷上の優美で流麗な演技を観客に見せて欲しい。 ひとつ残念に思ったのは、競技後のエキゼビジョンで、競技中は採点対象外としてほとんど見せなかった荒川静香が得意な大きく背中を反らせたレイバック・イナバウアーをもっと見せて欲しかった。 今回も、オリンピックの大和撫子は国民を感激の坩堝に巻き込んだ。女尊男卑の時代になったのだろうか。 (JCNCC 2006/3/1)
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| コラム 「コペルニクス的ばか者」 耐震強度偽装事件 昨今、革新的な人材が各地で首長に選ばれている。 バブル崩壊後の行き詰った社会に新風を吹き込む役目としては大いに歓迎されるべきことだ。 ふるい伝統を打破するには、新鮮なエネルギーがどうしても必要不可欠。 ところが、このエネルギーがありあまって、時にはとんでもないわが耳を疑うような言動がとびだす。 最近、横浜市長の「コペルニクス的ばか者」発言がそれ。耐震強度偽装事件のヒューザーが横浜市を提訴したことに対してである。 同調した国民も少なくないだろうが、この発言は、専制的というよりむしろ近代国家としての仕組みを無視した、責任回避の 暴言に近い。背景やいきさつは不明だが、市民パワーの強い先進国ではリコールの対象になる。 11年前の阪神大震災のとき、倒壊した建物が予想以上に多かった。 犠牲者の8割以上が建物の倒壊で亡くなった。 阪神大震災の大惨事が残した教訓は、建物の耐震化の重要性だった。 半世紀以上前、関東大震災を経験した日本は、以後、構造物の耐震性を重視して厳しい法律を作った。この法律は、他国には例がないほど 厳しい耐震性を要求し、そのため、つい最近まで高層建築は事実上不可能だった。 ところが、阪神大震災のとき、倒壊するはずのない建物、道路がばたばたつぶれたり傾斜して崩れ落ちた。 こんなはずはないと調べてみると、その原因は法を守らない欠陥建築であったことが分かった。 厳しい建築基準法があっても、業者はそれを守っていなかった。 建築認可監督機関の自治体には、審査能力もなかったし人手も不足していた。いうなれば、メクラ判で建設許可を与えていための惨事であった。 住民は、役所の厳正な審査をうけた安全な建物と信頼して阪神大震災までそこに住みつきあるいは利用していた。 そして、阪神大震災の朝、地方自治体の認可を受けた耐震建物の下敷きになって亡くなった。 阪神大震災で露見した、いい加減な地方自治体の認可行政に対する反省から、 国土交通省(建設省)は1998年に建築基準法を改め、建築構造確認は、官だけではできないと考えて民間に開放した。 横浜市長の「ばか者」発言にもどろう。 たしかに、建築構造確認を民間に開放した。だが、民間機関に最終責任が移ったわけではない。 そこを、この市長ははき違えていないだろうか。 その法律を作ったのは、国であり、地方自治体である。 法律は、作った以上それを徹底させなくては法律の意味を成さない。 これを守らせるのが、行政機関である。 法律はあるが守らなくても良いような法は、立法すること自体が意味がない。 今回の耐震強度偽造問題で、偽造をしたものも悪いがこれを見逃した行政機関の責任も重大である。 建築構造確認を民間に開放したところで、行政は責任逃れはできない。責任まで丸投げしたつもりでいるのだろうが、この市長には行政学の基本から学びなおしてもらいたいものだ。 立法した以上、行政には監視監督責任が生じる。立法するだけで、その監視監督責任まで民間に丸投げはできない。 行政機関に、十分な監督能力がなければ、行政機関がその能力、人材を速急に補充しなくてはならない。それが近代国家としての仕組みである。 同様な例としては、コンピュータ犯罪が高度化し、それを取り締まる警察、司法がその能力がないからと放置、あるいは民間に任せていたのでは、近代国家の屋台骨がぐらつくことになる。人材難、財政難を理由に責任の回避はできない。 民営化で、民間に移管できるものは仕事量であって最終責任はどんなことがあっても移管されることはない。 国や地方自治体がこの責任から逃れることができるのは、民間が立法して民間が取り締まる私刑の場合だけである。 民間業者を「コペルニクス的ばか者」呼ばわりしたとしても、裁判では行政の責任が何らかの形で問われるだろう。 この事件で、もうひとつ行政の怠慢が表面化したのは、この事件が世間を騒がせる1年以上も前に、構造建築の同業者が 当局に何回も姉歯建築士のからくりを見抜いて、内部告発をしていた。にもかかわらず、行政が無視続けていたことである。 このとき、行政が何らかの手を打っていたらここまで被害は広がらなかった。 この間、元建設大臣が秘密裏に政界、官界で事件を隠蔽しようとしていたことが後で判るが、 今までの業界と官の癒着から考えると隠蔽されずに今回よくここまで明らかになったと 不思議にさえ感じる。これも小泉内閣の功績といえる。 これまでの自民党の内閣だったら、元建設大臣の裏工作が成功していたに違いない。もちろんそのときは政治献金の名のもとに巨額な 賄賂が動いていたことだろう。 その結果、耐震偽装マンションの住民はいつ襲ってくるか判らない震災の時まで耐震偽装を知らずにいただろう。そのとき、崩れた瓦礫の 下でなぜ自分のマンションがこんなに簡単に崩れたのか不思議に思いながら三途の川を渡っていたかもしれない。 (JCNCC 2006/2/1)
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| コラム 人口の減少が始まった 需給関係が今までと逆転する 新しい年が明けた。 この年を境にしていろんなことが始まるだろうと想像する。 まず、人口の減少が始まった。戦後、増え続けた人口がやっと今年曲がり角に来た。 この現象を、危惧している人も多いが、これはむしろ国民一人一人にとっては歓迎されるべきことなのだ。 国民、即生産人口と見ている政府や企業関係者にとっては、この現象を暗転と映るかもしれない。 確かに、700−800兆円の国の累積借金を抱えた政府にとっては、それを返済する国民人口が減少するということは これからの日本国の運営の懸念材料であることは間違いない。 現在の人口でこの借金を頭割りにすると、約一人600−700万円になる。 夫婦と子供一人の家庭で計算すると、約2000万円の借金の返済を義務付けられたことになる。 よくもここまで返し手である国民に無断で借金を膨らませたものだと感心する。 いや、国家予算は国会の承認事項である、国民の代表議員が決めたことであるから、国民に無断で借金をしていたわけではない。 確かにそのとおりだが、代議員制をとる間接民主主義は日本では機能していないことが多い、 その例は、昨年の小泉圧勝の総選挙結果をみて、永田町と国民の温度差がこれほど開いているものとは、外国のジャーナリストは想像もつかなかった。 もうひとつは、長野県議会と長野県人の考えの落差、これを田中知事が知事選選挙で全国、世界に知らしめた。 長野オリンピックを誘致するために、長野県はなりふりかまわず札束をばら撒いた。 普通、金や賄賂をばら撒くときは自分の懐の大きさ、余裕で制限される。なりふりかまわずばらまくわけには行かない。 当然、あるところで歯止めがかかる。 だが、政府や地方自治体はそのツケは国民、県民が払う。ということは歯止めがかからない。 このような振る舞いは、30年以上前、日本が経済大国に向かって走り出したころから始まっている。 日本と米国の貿易摩擦が始まったころ、日本政府は米国議会にロビーイスト(議会議員OB)をつかって法外な金をばら撒いた。 いや、正確に言えば表向きはロビーイストのコンサルタント料として支払った。 これは、北米のマスコミでも頻繁に取り上げられ米国民の顰蹙を買った。その後、ロビーイストの行動を制限する法律ができるいきさつにもなった。 私企業が、この度を越した賄賂攻勢をすると企業の屋台骨がぐらつき始める。だが、国や地方自治体が始めると 歯止めが利かなくなりその借金は県民、国民の負債になる。長期にわたって国民がその重荷をしょって歩かなければならない。 長野県民はいち早くこれに気づいて借金地獄から脱け出そうとしたが、その他の赤字を抱える、国、地方自治体 の住民は、その借金を背負って長い日々をおくらなくてはいけない。多分、孫の時代まで引きずるかもしれない。 そこから抜け出すには、自分たちで代表者を探して手遅れにならないうちに議会に送り込むようにしなければいけない。 人口が減り始めて、国民個人の借金の割り当て勘定が増えるというマイナスな現象はさておいて、人口減少によるプラスの面もある。 大きな変化は、需給関係が今までと逆転するので、国民に個人主義の自覚が芽生えはじめる。 あらゆる面で需要側の競争が減り、供給側の競争が始まり買手はゆっくり行動できる。個人あたりの空間が増えるのと考える時間も増える。 簡単に言えば、もっと人間らしい生活ができるようになる。 需給が逆転するということは、今まで売り手相場が買手相場にかわって個人へのサービスも向上する。 たとえば、住宅にしても耐震偽装を知っていて売りつける業者などは当然、社会から抹殺されるであろうし、 先を争って契約を済ませる必要もない。 耐震偽装を隠してでも売りつけることができたのも、それだけ需要があるからだ。 賃貸住宅の場合は、日本特有の敷金、保証金、礼金、権利金などわけの分からない貸し手が勝手に創り出した料金を 払わされることもなくなる。 この制度は人口過密の日本特産で、需要が減ればひとつづつ無くなっていく。その理由は、一人でも多くの顧客を掴もうとするため借り手に不利な条件は、ひっこめざる得ない。 そのほか、医療施設の混雑や大学、高校の入試関門も広くなる。詰め込み主義の入試問題が減って、個人の能力を存分に発揮できるような キャンパスに変わっていくだろう。但し、その反面、学生をいつまでの置いておきたいから、トコロテン卒業は難しくなる。 また、中央、地方政府の市民に対するサービスも愚民政策から尊民政策に変わっていくであろう。 国民、一人一人の意見にもっと耳を傾け、それを行政にどんどん取り込む姿勢が出てくる。 この現象は、人口減少にすでに遭遇している欧米の社会ですでに起きている。日本も今年を境に多分、 同じ道を歩み始めていくものと想像する。 これから始まる行政改革に、人口減から派生する諸々の要因をどう織り込んでいくか楽しみだ。 はやくそうなって欲しいという願望を込めた今年の夢でもある。 (JCNCC 2006/1/15)
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| コラム IT・コンピュータ黎明期 みずほ証券400億円のミス 今年、2005年の経済ニュースの筆頭は、年の暮れに起きた みずほ証券の発注ミス事件だろう。 「六十一万円以上で一株売り」とすべきところを 「一円以上で六十一万株売り」と誤って東京証券取引所の取引システムに入力してしまった。 このミスによって、みずほ証券は400億円の損害を出してしまう。 これだけ聞くと、コンピューターとはなんと恐ろしい機械だろう。 うっかり手に触れると、先祖代々の財産を根こそぎ持っていかれる。 なんて考えた人はいなかっただろうか。 確かにコンピューターは機械だから、言われた通りに実行する。 人情もなければ、思いやりもない。 六十一万円でも一円でも全く同じように取り扱う。 一円ならいい加減に、六十一万円なら慎重になんて考えるのは人間様だけ。 海外でもこれと同じミスは時々ある。 しかし、400億円の損失を出すまでに何重にも保護された安全装置が働いて大事になる前に未然に 停止する仕組みが出来上がっている。 何重にも保護された安全装置の仕組み含めてコンピューターシステムと呼ぶが、 「人間はよくミスを犯す」だからそのミスがあったとき そこから抜け出すか、警報を出して停止する方法がとられている。 また、コンピューター自体がミスを犯すこともある。 それを監視するために、通常システムは、2重、3重の冗長性を持たせる。 例えば、NASAのスペースシャトルは、4重の冗長性を持たしている。 1つのコンピュータが間違えても、あとの3つが正しければその答えは正しいとする。 この冗長性をどうやってコンピュータに持たせるかで、コンピュータ設計者の質の 良し悪しが決まる。 日本では、現在コンピューターの大型システム設計ができるのは、大手3社と外資系の一社である。 この大手が、過去に大きな障害や事故を何度か犯している。 航空管制のプログラムのミスで、半日飛行機が飛べなくなったり、電話回線が関西一円で 1日不通になったりした。 最近では、みずほ銀行で3日間現金預け払い機が止まってしまった。 北米ではどうか。 アメリカやカナダでもこれに似たトラブルはあった。 現金預け払い機が止まったりすることは良くある。 だが、日本でしばしば起きているような大事故には至っていない。 その理由は、西欧人はコンピュータ本体を信頼していない。 そのために、コンピュータ本体の信頼性を 高める努力を欠かさない。 コンピュータに組み込んだソフトウエアにあらゆる角度からの監視、 監査機能を搭載してヒューマンエラー(人的誤操作)とコンピュータエラー を監視している。 具体的に、どんなことをするか。 北米のシステムでは今回のみずほ証券の発注ミスの場合、 コンピュータが発注者の ヒューマンエラーを検出して発注を拒否しているだろう。 その理由は、入力された発注数が発行株式数を 大幅に超えていたからだ。 架空の存在しない株件数を売りに出すことは、何らかのエラーだと コンピュータは考える。 株式の売買は原則四日後に決済する、そのため株券を分割して受け渡すこともでき るから発行済み株式数を上回る数量の注文を処理できなくてはならない場合もある。 それを考慮して、発行済み株数を上回って売買できるようになっていたのだろうが、 そういうことは、通常ではあまりない。 そこでコンピューターは、通常は、 注文受付を停止してしまう。 先に進むには 「リセット(再設定)」と言う複雑な追加手動操作をしないと進まないようになっている。 これを簡単な操作でリセットできるようにすると、慣れによるトラブルが起きる。 ヒューマンエラーを起こしにくいフェイルセーフ(*)のシステムになっている。 もうひとつは、50万円以上する株を1円で売り注文出てくることは、明らかに 悪戯か、入力ミスによるものだ。 コンピュータはここでも停止して先に進めないように なっていなくてはならない。 これを警告だけで先に進めるようなシステムはありえない。 三つめは、発注者が誤りに気がついて発注を取り消しできたはずだが、 今回それができなかった。 この点、東証も認めているがそんなお粗末なシステムなんかあるわけがない。 プロのプログラマーは間違ってもそんなシステムは設計しない。 勿論、始めから取り消しができるシステムをつくった筈だ。 それができなかった。 何故、何が起きたのか。 コンピュータが故障した?そうじゃない。 そのときは、正常なコンピュータに 自動的に切り替わるシステムになっているはずだ。 じゃ、どうして?ここからは推測だが、今回はコンピュータの故障ではない。 初めから、ある条件下では東証のシステムは取り消しができなかったのではないか。 そのことを 東証は気がついていなかったのではないか。 その条件下とは、なんだろう。 通常、取引が成立する前は発注取り消しができる。 そこまでは問題はない。 だが、取引の一部の売買が一旦成立すると 取り消しができるシステムになっていなかったのではないかと想像する。 一部の報道によると、「一円」の売り注文を、東証のシステムは 値幅制限の下限価格「五十七万二千円以上」 の売り注文として認識し直したとしている。 その後、みずほ証券は誤発注に気付き、 「一円以上」の売り注文を取り消す操作をしたが、 システムには違う価格情報で認識されていたため、取り消せなかった。 この理屈は、一見もっともらしいが専門家から見ると全く説明になっていない。 売り注文を出したとき、それが受け付けられたとき「注文番号」なるものが 表示される。 これは、注文が発生した生年月日みたいなもので、この注文番号は、 その後、価格、数量に変更があっても終始変わらない。 (生年月日は一生不変) すなわち、売り手(みずほ)と市場取引機関(東証)の間はこの番号をリファレンス (参照番号)として処理されていたはずだ。 もし、報道の内容が正しいとすれば、東証のシステムは、システムと呼ばれるような 代物ではなく、レンタルビデオ店のパソコンシステムにも劣る。 みずほが誤発注に気がついて、最初の取り消し作業までに売買が成立した株式は3000株余り、 もし、プログラムがこの条件下でも取り消しができる仕組みになっていたら、3000株の損失で 済んだはずだ。 いままで、東証ではこの誤動作は頻繁に起きていたはずだが、売買株数が今回のように 大量六十一万株の成り行き 注文の途中で「取り消し」の執行例がなかったため、ソフトウエア上の この不具合には気がつかなかったのではなかろうか。 もしこの推測が当たっているとしたら、今回の事故は、コンピューターメーカー富士通 には全く責任がない。 責任は、コンピュータシステムを発注した東証の仕様ミスである。 今回の原因がどこにあったかは、まだ未決だが、早々と東証の鶴島琢夫社長は責任をとり、 辞任する意向を示唆した。 1ヶ月半ほど前に東証は、取引の前面停止という「前代未聞の事態」を引き起こしている。 そのとき東証は、売買システムの増強を目指して導入したソフトに原因があったと言明。 「発注した性能をきちんと満たすものだったかどうか改めて検証し、 メーカーにそれなりの賠償請求を行うことはあり得る」と強気の発言をした。 ソフトウエアを開発した富士通の責任を追及する構えを見せた。 だが、前回のトラブルが今回全く生かされていない。 前回のときは、責任はコンピューターメーカーにあるとして 自社内の検証を疎かにした。 そのつけが今回あらわれた。 悪いのは民間、「我々には責任はない」。 お役所の無責任体制が露見した。 (このあと、耐震強度偽造問題でも同じお役所無責任体制が問題化する) 東証の鶴島琢夫社長は責任をとり、辞任するのはいいとしても、 トップの辞任で一件落着として原因の追究を 疎かにしないで、徹底的に原因を追究して信頼性の向上に、 コンピューターメーカーも 発注側も、再び甚大な被害が出ないように細心の配慮をしてもらいたい。 新しく着任した西室会長は東証について「株式会社なのに、いまだに 東証内部で西室は民間から来た、と言われる。 あいさつ原稿には 従業員ではなく役職員一同と書かれている。 これでは民間企業ではない」と述べた。 東証が株式化される前から、財務省(旧大蔵省)から天下ってきた官僚の無責任体質は 鶴島社長が辞任しても一向に変わらないだろう。 トップをすげ替えただけでは駄目で、東証人事を改変して、財務省の古い肩書きだけで 役職に座っている、IT(情報技術)については無能な旧官僚も一緒に ご引退してもらわないと、第2、第3のみずほ証券が出る。 このままでは、日本の経済の顔とされる東証に海外の投資家から愛想をつかされること はまちがいない。 (JCNCC 2005/12/20) (*注)<フェイルセーフ(Fail Safe)> 機械やコンピュータ装置、システムが誤動作した場合、安全側に制御すること。 またはそうなるような設計手法で信頼性を向上させるために考えられた設計法。 機械やコンピュータ装置、システムが誤動作したときに必然的に安全側でとまること。
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| コラム 変質者を監視 性犯罪から幼児を守ろう ここ1,2週間の間に幼い女の子が2人亡くなった。 小学校1年のあいりちゃんと有希ちゃん、いずれも7歳。 またしても、幼い命が奪われる惨事、これまで取り上げてきた 幼児虐待死や母子餓死事件と同じくらい筆を執るのが辛い痛ましい悲しい事件だ。 あと50年も60年も、いやもっと長く楽しい人生を送れたはずの命でわずか 数年の短い間しか生きられなかった。 あいりちゃんも、有希ちゃんも楽しい事をまだいっぱいしたかっただろうに、お友達も いっぱいつくりたかっただろうに。 それが、けだもののような人間の欲望の餌食になって、生命を短く絶たれたのは なんとも言うようなない無念さと怒りがこみあげてくる。 ご遺族の方々は、突然愛児を失って底知れぬ深い嘆きに襲われたに違いない。 男の児と違って、この年頃の女の児はとても従順で可愛い。愛娘を失った ショックと悲しみは我々の 想像をこえているだろう。 有希ちゃんの犯人は、今の時点では捕まっていないのでその動機は判明していないけれども、 状況証拠から性的な悪戯からではないか想像される。 今までも、神戸や長崎で幼児が殺害された事件はあった。 だが、いずれも犯人は未成年者だったり、同級生だったりで殺害目的は単純な動機だった。 しかし、今回の二つの事件は、今までの事件とは違ってきた。 ペルーの地元紙によると、あいりちゃん殺害事件で逮捕されたペルー国籍の ピサロ・ヤギ・フアン・カルロス容疑者(30才)は 1997年にペルー国内で少女に性的暴行を加え、服役した前歴がある。 ということは、今回の殺害も性的な目的で起こしたものと考えられる。 変質者による幼児殺害事件は、どうして繰り返されるのか、どうしたら防げるか、 ここでじっくり考えてみる必要があろう。 北欧をはじめとして、西欧、北米の国々では正常な性に関して非常に解放的であるのに比べ、 わが国は、アジア、アフリカ、中南米の後進国と同じく性に関しては非常に保守的である。 性に関して厳格な規制をすればするほど、地下にもぐりこみ、そこに想像を超える膨大な裏世界が生まれる。 その理由は、性欲は人間本来の生活本能の一部で外部からの規制を強くしてもこれを 無くすことはできないからだ。 例えば、20世紀初めに米国では「禁酒法」という悪法がそのいい例だ。 アルコールの製造・販売を全面的に禁止した。 その理由は、アルコールによって引き起こされる犯罪をなくすのが目的だった。 ところが、「禁酒法」を実施してみると思わぬ方向に社会がひずみ出して闇の犯罪が増え始めた。 イタリヤのシシリー島からマフィアが乗り込んできて米国内で暗躍し初め、 「禁酒法」のないカナダから酒を密輸して 裏世界のネットワークを通じて全米に流し膨大な富を築いた。 その過程で、マフィアが各地で販売ネットワークを築くために、縄張り争いが起こり殺人事件が 頻発して社会がどんどん不安定になっていった。 「禁酒法」によって、アルコールによる犯罪は減ったが、それ以上に悪質な犯罪が増加した。 国家が人間の本質的な欲望を抑えようと 規制を強めれば強めるほど、問題が地下の世界に沈んでいく。 日本の例で見ると、 幼児ポルノや縛りつるし、下着、履物フェチの類の異常な世界が人知れぬところで広がった。 法律は、正常な成人の性行為、性器官の表現描写には厳しい制約があるが、それ以外には制限が無い。 だから、この異常性欲者の世界は表世界の何倍という大きさで広がりを見せている。 成人ポルノが規制されているため、当然のことのように幼児のポルノの世界に はけ口を探す。日本では、幼児ポルノは4,5年前まで規制が無いに近かった。 幼児ポルノが規制されたのは、2001年に横浜で開かれた「児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」 以降である。 児童ポルノはこの世界会議の申し合わせで以降日本でも禁止になったが、それまでは 野放しになっていた。 従来の法律は、はたして性犯罪を減らすことに役立っているのだろうか。 禁酒法と同じように 別の面での犯罪を増やしてはいないだろうか、ここで見直してみるいい機会だ。 このいつの間にか異常に成長した裏世界は、インターネットで数分覗いてみただけで、 恐ろしいほどの異様な世界を垣間見ることができる。 そこから、今回の事件がいつか起こり得ることは想像がつくし、残念ながらこのままでは これからも続発するだろう。 インターネットの裏世界を規制しろとの声がいつもあがる。そして、規制を厳しくしてきた。 だが、一向に犯罪は減らない、逆に増えている。 この裏世界を封じ込めると、さらに、陰湿なつぎの 裏世界を生み出す。それは、禁酒法と同じで 人間本来の欲望を封じこめることができないからだ。 本質的なことを見落として、 規制を強化するだけでは、さらに闇の犯罪が増えるだけ、禁酒法の失敗が示している。 話は逸れるが、麻薬の厳しい規制が麻薬犯罪を助長していることは周知の事実だが、 それ故に、西欧やカナダでは麻薬を合法化しようとする 考えが真剣に進められている。手始めに習慣性の少ないマリファナを合法化している国もでてきた。 先進諸国では、正常な成人ポルノは合法化されている。その理由のひとつは、異常な裏世界の性犯罪の 抑止を当然考慮している。 これからは、反対に裏世界が生み出す変質者をどう規制するかではなく、 いまの歪んだ法規制をどこまで緩めれば裏世界に 向かう人を減らせるかを考えてみてはどうか。 先進諸国では、成人の性行為、性器官の表現描写には制限が緩い。その反面、 幼児ポルノやSMの世界には、厳しい規制がある。 日本の場合は、成人ポルノが厳しく規制されていたため、 幼児の場合なら猥褻罪にあたらないと、異常な方向に向かって膨んだ。 当局も少々大目で見ていた帰来があった。 自分の幼児をこの悲劇から救う当面の対策は、増え続ける変質者から獲物を遠ざけることしかない。 今回の事件は、いずれも学校の下校時に起きている。 北米では、このような変質者による悲劇をなくすために、 小学生の登校下校にはスクールバスを使う。あるいは両親が車で学校まで送り迎えをする。 どんな田舎でも、黄色のスクールバスが迎えに来る。経費はかかるが児童の命には代えられない。 今の集団登下校では、今回の事件は防げなかった。いずれも一人になったところを狙われた。 こども110番も役に立たない。防犯ブザーも駄目だった。 それぞれの児童とその両親がこの問題を個別に対応するのには限界がある。児童の親が、子供のランドセルに 発信追尾装置を装備するよりも、 学校としてもっと安全な児童の輸送法をすぐにでも考え、実施するべき義務がある。 予算が無いなんていっている暇は無い。この種の事件はインタ−ネットを通じて 各地に飛び火して続発するだろう。 もうひとつは、警察が変質者のリストアップを徹底的にやることだ。 変質者は必ずと言っていいほど性犯罪を繰り返す。 初犯のときは無理だが、再犯の可能性のある前科のある性的変質者は、近所の住民に知らせる。 北米では極端なときは、変質者の身体に発信機をつけて四六時中監視することもある。 今回の犯人はペルー人だった。ペルー国内で少女に性的暴行を加え、服役した前歴があった。 この男の場合、外国(カナダ・アメリカ)なら、近所の住民に知らせているだろう。 いや、その前に入国審査で入国を拒否されていたであろう。 なぜ日本の入国管理局が入国を許可したのだろうか。 名前を変えたり、偽パスポートを使っていたと聞くが入国管理局がそんな簡単な虚偽を見抜けないとは、 お粗末極まりない。今回の事件でマスコミが、ちょっとペルーに電話しただけで虚偽が分かったのに 何故もう少し永住(入国)許可を出すとき調べなかったのだろうか。 将来、テロリストが偽名で入国してきたらもっと多くの日本人の命が 危険にさらされることになる。犯罪者の入国を水際で徹底的に食い止めなくてはならない。 これも、いい教訓になった。 (2005/12/1) <児童ポルノ> 日本ではいままで児童ポルノに対する規制がなく、1996年にストックホルムで開催された 世界会議において、日本は児童に対する性的搾取の規制を怠っていると非難を受けた経緯がある。 2001年の第2回会議横浜で開催された横浜会議をきっかけに法改正が行われ、 児童買春・児童ポルノ処罰法によって児童ポルノが初めて規制された。 <禁酒法> 禁酒法は、飲料用アルコールの製造・販売等を禁止する法律で 1919年1月16日に成立し、1年間の猶予期間を置いて翌1920年からアメリカ全土で施行された。 取り締まり当局内に賄賂が横行し密造業者や密造・密売に関わるギャングに買収されたりした。 更に密売に関わるギャングやマフィア同士の抗争による都市の治安の悪化も問題となった。 ルーズベルト大統領は就任すると、悪評の高い禁酒法の廃止へと動き、 1933年に廃止された。 禁酒法が施行されていた期間は、13年10ヶ月。禁酒法は、悪法の代名詞として後世に記憶された。 <米国マフィア> シシリー島出身の「マフィア」が犯罪結社として有名。 マフィアは秘密結社で少数精鋭主義、正式構成員(ファミリー)の人数は、大きな組織でも100人程度、 通常は50-60人程度であるが、その数倍以上の準構成員を擁している。 各都市に1ファミリーであるが、ニューヨークのみはメンバーの数が他の都市よりはるかに多く 5つのファミリーに分かれている。全米に20以上のファミリーが存在すると言われている。 アメリカ及びイタリアのマフィアは上位メンバーには絶対服従の掟、 組織内部のことを絶対に洩らしてはならない沈黙の掟と呼ばれる厳しい掟があり、 それを破ったときは凄惨な制裁(死刑)がある。これ等の掟と正式メンバーの限定と相まって、 マフィアの全容解明はされていない。
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| コラム 記憶にありません 日歯連ヤミ献金事件その後 日歯連ヤミ献金事件・村岡被告公判に大物政治家3人が相次いで証人として出廷した。 (2005年)10月24日の野中・元自民幹事長の証人尋問を最後に青木・橋本3証人の証言が出揃った。 ところが、事件の方は一向に解明されていない。いまだ、霧の中といった状態、いやますます不可解な 様相を呈してきた。 まず、露払い役で証人出廷した青木参院議員会長の尋問。 東京・赤坂の料亭で日歯連側から橋本元首相に1億円の 小切手が手渡されたことを覚えているかとの質問に、 「心当たりは一切ありません。」 「一切記憶にありません。」 「1億円の献金で領収書を発行しないことについて滝川元被告が独断、 私は授受も、領収書の要求があったことも知らない」 「当時のスケジュールを記したものは残ってない。 陳情など膨大な書類がたまるので、1年たったら廃棄している」 「知らぬ存ぜぬ」で2時間余貫き通した。 次は、2005年10月11日に橋本龍太郎元首相の証言。 証人として出廷した橋本元首相は「会食の事実は全く覚えていないが、 運転日報や日程などの記録がある。野中(広務)氏側の依頼で(会食場所の)予約をし、 請求を受けて支払ったのは私側だ」などと証言した。 元首相は01年7月の日本歯科医師連盟側からの1億円受領について 「記憶はない。ほかの方々がそう言っているのであれば、そういう事実があったかもしれない」 と述べた。献金の意図については「全く分からない」、使途は「記憶はありません」の連発。 橋本元首相は「記憶にないが(会食への)出席や小切手の受領は間違いない」 1億円の不記載については「(昨年7月の)報道後、滝川元事務局長 に確認すると、私から受け取ったと言っていた。」 橋本元首相はさらに「政治資金収支報告書の提出前に話を聞いたことはない」と述べた。 最後の証人として出廷した野中広務元幹事長は、 日本歯科医師連盟側からの1億円の裏金化にかかわったとされる点について 「全く知らないと断言できる」「別の料亭での会合に出席していた。絶対に行っていない」と証言。 会食相手の名や、その後に乗車した新幹線の時刻もあげて 詳細なアリバイを主張、自らの関与を改めて全面否定した。 1億円授受の会食に同席したとされることも否定し、 詳細なアリバイを説明した。 証人として出廷した3人とも1億円の裏金化に「知らぬ存ぜぬ」 を貫き通した。法廷での証言は、村岡被告の弁護よりも 自分に火の粉が降りかかってこないように必死で弁明している姿がうかがえる。 それがかえってこの政治家3人が 日歯連ヤミ献金事件に深く関与していたことを国民に強く印象付ける結果となった。 「皆が言うのならばそうかもしれない」 「記憶にありません」 「心当たりはありません」 という、文言は、一昔前ロッキード贈収賄事件のとき証人喚問された、小佐野賢治証人が 頻繁に使用して、流行語にもなった。 小佐野さんは、政治の裏街道を歩んできた陰の政治屋。その人が、証言を拒む術として 悪用したのがこの言葉だった。 だが今回、最高学府大学まで出て日本の総理大臣まで経験した人が 陰の政治屋と同じように、のらりくらりと 証言をはぐらかしているのは、どう見てもブザマにしか見えない。 元総理大臣が陰の政治屋と同じ手で司直の手を逃れようとするのは見苦しい。 「ほかの方々がそう言っているのであれば、そういう事実があったかもしれない」 という言い訳には、人間としても無責任な態度が垣間見える。 今まで国民は、こんな男に国政を任せていたのだ。 これまでの公判で2001年7月に 都内の料亭で橋本元首相が日歯連の臼田貞夫前会長と会食し、 1億円の小切手を受け取った場に、野中氏や青木氏 も同席したと日歯連の内田元常任理事は、証言している。 東京地裁の岡田雄一裁判長は、日本歯科医師会(日歯)側から提供された 1億円の献金を「共犯者」村岡元官房長官とヤミ処理した 旧橋本派政治団体の元会計責任者・滝川俊行被告を初公判からわずか9日後という 実に異例なスピード結審した。 しかし、村岡被告が「共犯者」と認定する裁判が始まる前に、なぜそう断罪できる のか、この裁判は、仕組まれた筋書きを強行させる消化裁判だったのか。 裁判の舞台裏で黒幕が暗躍していた。 野中元幹事長は03年総裁選で他派閥の支持に回った村岡元長官を 「毒まんじゅうを食らった」と述べた。また、テレビ番組で 「『カネの出入りを知っている方は1人。会長の次までやった人以外にない』と聞いた」と述べている。 ここまで来ると、この事件には村岡被告を罪に陥れようとする陰湿なシナリオが誰かによって書かれ 早々と元首相を不起訴処分とした地検、共犯者不確定のまま、速やかに滝川俊行被告を有罪とした 地裁までグルになって永田町の陰謀がうごめいていたことがうかがわれる。 この事件では、村岡被告は無罪になると思われるが、 事件の真相は、残念ながら解明されずにいつものように幕が引かれだろう。 日本の司法制度に事件の真相解明や、善悪を裁く能力を期待しても無理なのだろうか。 明治初期の裁判所の設立趣旨からしても その主な目的は、対外的な体裁を保つためであってその本来の機能は重要ではないのである。 この事件で東京地検特捜部は元首相を不起訴処分とした。 地検、地裁がこの誤った裁きの汚点から名誉挽回をこころざすのなら、この事件の徹底した解明を 願いたい。勿論、シナリオ作者も明らかにするべきだ。 今後の成り行きを注視したい。(2005/10/30)
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コラム 不完全な行政システム・制度 欠けている検察・警察を監視するシステム 日本の行政システムや国の制度は、表面的には、先進国と同じ体裁を装ってはいるがその内側はまったく違うものが多い。 その背景には、前近代的な民意を軽視した古い思想がある。それゆえに、制度全体が治める側が有利に、 先進国の近代制度をそのまま採用せずに肝心なところは省いて取り入れている。 あるいは、行政側が有利に統治できるように先進国と同じ民主的なシステムを細部まで完全に導入していない。 このことは、以前にこのコラムで何度か指摘した。 たとえば、当然、罪に問われるべき事件で、検察が意図的に、あるいは、不可解な不起訴処分とした場合、 一般国民が不服を申し立てできる検察審査会と言う先進諸国と同じシステムが日本にもある。 個々の不起訴処分が妥当かどうか審査するほか、検察事務の改善を検事正に建議、勧告する。だが、 これには日本の場合、強制力がない。 一方、欧米の先進諸国には、独立した審査システムがあり、捜査権、勧告に強制力がある。 日本の検察審査会の構成員はくじで選ばれた一般国民で構成され、 任期は半年間で3か月ごとに半数が入れ替わる。ここまでは、先進諸国、民主主義国と同じである。 ところが、わが国の場合は、一番重要な検察審査会の勧告の持つ拘束力を意図的に外している。 治める側に有利に諸外国の制度を巧に改変して、国民代表の勧告を巧妙に無力化した。 この制度は、外見は民主的に見えるが、中身は国民(代表)の意見勧告を蔑ろにした 非民主国家の制度とかわらない。 最近、読売新聞が東京地検に情報公開請求を行った。 検察審査会の勧告書と同地検の回答を見るとその実情が良く分かる。 たとえば、東京第2検察審査会は昨年、業務上横領事件など8件で不起訴不当を議決した。 だが、その議決に強制力がないため、 東京地検はこのうち捜査を継続中の2件を除き、再び不起訴にしている。 なぜ再び不起訴にしてのかその理由は明らかでない。 今年1月、自民党旧橋本派への1億円ヤミ献金事件で、同党幹部の政治資金規正法違反容疑が不起訴となった。 東京第2検察審査会は橋本元首相ら3人を不起訴不当とした。だが、同地検は3月、時効を控えた 元首相の会計責任者に対する監督責任の 部分だけ先に判断し、再度不起訴とした。 旧橋本派幹部に対する政治資金規正法違反容疑は無い、この判断は、裁判所がするべきことではないか。 裏政治献金を贈った日本歯科医師会側が、この幹部3人の居るところで渡したとの証言があれば、容疑は充分すぎるほどある。 小切手を誰に渡し、どう渡ったか、その手順も複数の証言から明らかになっている。 この事件は、村岡兼造元官房長官が会計責任者滝川氏の共犯として起訴され、滝川氏は早々と有罪が決定している。 ところが、張本人の村岡元官房長官は「滝川氏の共犯として起訴されたことは全く心外」と起訴事実を認否している。 この裁判は、来週から橋本元総理大臣をはじめ橋本派幹部、青木氏、野中氏が証人として裁判所に出廷する ことになっているから、いずれ真相が判る。 検察が事件をゆがめて不起訴に持ち込もうとしたかどうか判るのは時間の問題だろう。 これは、裏返せば、法律の及ばない特権階級が日本には厳然と存在していることを見せつけた。 法の前には平等とうたわれている日本国憲法はどうなってしまったのか。 もしかしたら、検察役人は日本に新憲法ができたことを知らないで、明治憲法を頭において犯罪捜査をしているのだろうか。 この3月、検察審査会は検察に対して勧告を出した。
この勧告には、民主主義国では当たり前の理念をわざわざ文書にして検察に勧告しなければならない 国民の哀れさを感じる。 建議、勧告が出されたのは2000年以来で、昨年までの10年間でも6件しかなかった。 現在、検察審査会以外に検察の行動を糺す機関は存在しない。 少し前、別の欄で 「警察・検察の組織的な犯罪は誰が捜査、取り締まるのか。日本には、そのシステムがない。 現在の欠陥システムでは、検察・警察の犯罪は簡単になくならない。 同じような犯罪は定期的に繰り返され、ますます奥深く沈み込んで悪質になる。 速急にジャンケン三つ巴型システムをつくり、お互いに監視、助言する権力監視システムが今の日本には必要だ。」 (Letter to Editor ジャンケン三つ巴の世界) と書いたが、今回もそのとき以上に検察・警察の権力を抑止できる装置・制度の必要性を感じる。 現在の強制力がない検察審査会のシステムは、この三つ巴型システムとは程遠い。 国民に抑止力を持たせ、国民の監視が届く強制力を持った権力監視システムにすることがどうしても必要だ。 この「権力監視システム」とは、見せ掛けの張子の虎ではない。 先進国と同じような正常に機能する国民主体のシステムのことだ。 わが国には独立した捜査権、強制権を持った機関、米国の「FBI」みたいな検察・警察の犯罪を常時、 捜査・監視する機関が近い将来、いやすぐにでも必要ではないだろうか。 (2005/9/27) <検察審査会とは> 検察審査会は、現在、検討されている陪審制・参審制とともに、民意を反映する制度として、 11人の検察審査員が検察官の不起訴処分が正しく行われているかどうかを審査します。 審査員は、選挙人名簿を基にしてくじで選ばれます。 そのプロセスは、次のようになっています。 事件→ 警察署→ 検察庁→ 不起訴→ 被害者の申立→ 検察審査会→ 審査の結果 不起訴不当→ 検察庁へ 検察審査会は検察審査会法に基づいて設置され審議されます。 ご参考までに、検察審査会法の一部を次に掲載しましたが、これが民主主義(民が主体)国の法律かと目を疑いたく 文言があります。 第41条・・・その議決を参考にし・・・・ すなわち検察は、国民から選ばれた審査員の議決を参考程度にしか考えない。 官が主体で、民意は参考、明治時代のままです。これでは、民意の反映とはとても言えません。 高村元法相(2001年3月)などは、検察審査会がなした「不起訴処分は不当」 との議決に拘束力を持たせるべきとの考えを示している人もいます。 <検察審査会法(抜粋)>
【フィードバック1】 最近、不起訴が頻発するのは、検察、警察の狗肉の策のようです。 我国の犯罪検挙率が、10%台までに落ち込んで先進国の中では最低になった。 そこで、検挙率をこれ以上さげないために事件を立件しない、入り口を狭くする。 できるだけ自殺や事故として処理する。 桶川事件や神戸の大学院生殺人のように警察は知っていて知らない振りをする、 事件としてうけつけない、民事不介入の政策を採っているためです。 民間のゴタゴタは、民間で片付けろと言う政策です。 東京都杉並区の男性のひき逃げ事件もおなじです。 神奈川県でも同じような事件がありました。勿論、司法解剖も警察の意向通りの 検視結果を委託医は書くようです。 事故として処理していた昔の事件が、自供によって殺人だったとあとから分かるニュース がしばしば出てくるのはそのためです。(匿名希望) ご意見・ご感想・ご要望をお送りください。(1000 字以内)
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